喜塔腊氏(ヒタラし)爾晴(じせい)は実在したのか?
喜塔腊氏爾晴(ひたらし じせい)は中国ドラマ「瓔珞<エイラク>紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃」で爾晴(じせい)という美しい女官の名前です。爾晴(じせい)の姓は喜塔腊(ヒタラ)氏という実在した歴史上の一族です。爾晴(じせい)を演じる役者さんの美しさに気になった人も多いのではないでしょうか?虚実が入り混じっているドラマですが、つい興味が出ちゃいます。
ここではドラマの重要部分をネタバレしていますのでまだ見ておられない方はご注意ください。
目次
概要
喜塔腊氏
喜塔腊(ヒタラ)氏は満州族の一族の姓で正白旗といって皇帝を輩出する上三旗のひとつの部族です。清王朝の時代は舅氏子、老娘家と呼ばれていました。一族の始祖は昂果都理巴顔です。昂果都理巴顔は尼雅満山に住んでいて7人の息子がいました。息子たちの名前は都里金、那奇布、武特嘉、喜特庫、薩璧図、恩都理、叶成額です。都里金の祖先はヌルハチの生母、宣皇后の父です。
喜塔腊(ヒタラ)氏は宣皇后、來保、孝淑睿皇后、庫理、裕禄といった人物を輩出しました。
来保(らいほ)
爾晴(じせい)の父、來保(らいぼ, 1681年~1764年)は歴史上に実在する人物で喜塔腊(ヒタラ)氏の出身です。来保(らいほ)は内務府に隷属し工部尚書、刑部尚書、礼部尚書、武英殿大学士、吏部尚書(前任者はドラマにも出て来る高斌)、軍機処、、文華殿大学士などを担当し内務府總管になりました。字は学圃、諡号は文端です。
爾晴(じせい)
爾晴(じせい)は架空の人物です。ドラマでは來保の孫娘という設定で富察皇后(ふちゃこうごう)の奴婢です。奴婢といっても他の旗の貴族と同格の高貴な身分(と劇中で本人が言っていた)なので劇中で高貴な貴族との縁談を乾隆帝から賜りました。
蘇青という1989年生まれの女優さんが爾晴(じせい)を演じています。放送時に何と29歳でした!思ったよりお歳を召していましたね。
ドラマの35話で、乾隆帝は傅恒(ふこう)と身分が釣り合うように爾晴(じせい)の一族を上三旗の包衣(奴隷)から上三旗にして身分を上げたと語る場面がありました。36話では結婚式の場面がありました。
その後の動向についてはドラマをご覧ください。
福晋那拉氏
実は、富察傅恒(フチャふこう)の妃は福晋那拉氏(ふくしんならし)という以外、記録に残っていません。乾隆帝と私通があり福康安を出産したとか、清王朝始まって以来の美女との噂が中華民国以降に付け加えられました。
福晋(ふくしん)とは清王朝の貴族の妃に付けられる称号です。嫡福晋(ちゃくふくしん)は正室のことです。側福晋(そくふくしん)は側室のことです。