袁春望(えんしゅんぼう)
中国ドラマ「瓔珞<エイラク>紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃」で登場回を重ねる度に存在感を増していく袁春望(えんしゅんぼう)とは一体何者なのでしょうか?
ここでは物語の核心にまで迫っていますので、まだドラマをご覧になっていない方はこのページを閲覧しないほうがおすすめです。
目次
初登場
袁春望(えんしゅんぼう)はドラマに初めて登場するのは10話あたりです。
嫻妃(かんひ)が賄賂の資金を捻出するために侍女の珍児(ちんじ)の提案により太監長の趙慶(ちょうけい)を懐柔しました。趙慶(ちょうけい)は弟子の袁春望(えんしゅんぼう)を連れて神武門で密貿易するため嫻妃(かんひ)を待っていました。
しかし密貿易を試みたものの、高貴妃(こうきひ)が現れ嫻妃(かんひ)を虐げました。趙慶(ちょうけい)は罪を袁春望(えんしゅんぼう)になすりつけて逃げおおせたのです。
袁春望(えんしゅんぼう)は辛者庫(しんじゃこ)送りとなり永巷(えいこう)に肥溜めを運ぶ苦役を命じられました。
肥溜めに左遷された袁春望(えんしゅんぼう)は仲間だった太監たちにいじめられるようになりました。
袁春望(えんしゅんぼう)はやり返さずに耐えてました。
袁春望(えんしゅんぼう)は高貴妃(こうきひ)の犬の餌を盗み食いしたり、溝に落ちている食べ物を拾い食いしたり、雨水を飲んで命を長らえさせていました。
瓔珞(えいらく)との出会い
辛者庫(しんじゃこ)のもとに瓔珞(えいらく)が左遷されました。主人公が左遷された事情はネタバレになりますのでドラマを直接御覧ください。袁春望(えんしゅんぼう)が瓔珞(えいらく)と出会うのは28話あたりになります。
心も口も閉ざしている袁春望(えんしゅんぼう)に瓔珞(えいらく)があれこれと話しかけ、そして助けようとしたのです。
瓔珞(えいらく)と義兄弟に
瓔珞(えいらく)への執着
物語が進むにつれて、袁春望(えんしゅんぼう)は瓔珞(えいらく)への執着を深めていきます。表面的には義兄弟となって仲良くなったものの、袁春望(えんしゅんぼう)は玉のように美しい瓔珞を我が物としたい欲望がありました。瓔珞(えいらく)が円明園に送られた時に副太監長まで出世した袁春望(えんしゅんぼう)は職を蹴って円明園に異動しました。袁春望(えんしゅんぼう)と瓔珞(えいらく)はそこで4年~5年ほどを一緒に仲睦まじく過ごします。袁春望(えんしゅんぼう)は瓔珞(えいらく)と生涯添い遂げると口にしていました。しかし、瓔珞(えいらく)は袁春望(えんしゅんぼう)が本気で言っているとは思ってませんでした。
袁春望(えんしゅんぼう)の正体
袁春望(えんしゅんぼう)は雍正帝(ようせいてい)の息子でした。どういう経緯かわかりませんが、袁春望(えんしゅんぼう)は都の遠くに捨てられました。拾ってくれた義母は都まで旅をした末に亡くなりました。義父は何度も袁春望(えんしゅんぼう)を捨てましたがその度に義母が取り戻しました。義母はいまわの間際に袁春望(えんしゅんぼう)に皇帝の持ち物である数珠を渡しました。
袁春望(えんしゅんぼう)は自分の父を捜そうと都をさまよいました。帝位争いに敗れた八伯父は袁春望(えんしゅんぼう)が持つ数珠に目を付け奴隷として去勢して紫禁城に送り込みました。何も知らない雍正帝(ようせいてい)は袁春望(えんしゅんぼう)を皇子福慧(ふくけい)の奴隷としました。皇子は袁春望の背中に跨って遊びました。
皇子が夭折すると、袁春望(えんしゅんぼう)は杖刑(じょうけい)を受けました。
乾隆帝との関係
袁春望(えんしゅんぼう)は乾隆帝の異母兄弟です。兄か弟のどちらかはわかりませんがあの様子からは帝位を継ぐにふさわしい地位と思っていたので兄と思われます。袁春望(えんしゅんぼう)は皇子です。少なくとも本人は皇子だと思っています。
執着から憎しみへ
奇しくも袁春望(えんしゅんぼう)の想い人は乾隆帝の想い人でもありました。乾隆帝は瓔珞(えいらく)をいとも簡単に貴人に冊封して自分の物にしてしまいました。袁春望(えんしゅんぼう)は帝位だけでなく好きな女性も弘暦(こうれき)に奪われたと思いました。袁春望(えんしゅんぼう)は乾隆帝のことも瓔珞(えいらく)のことも憎みました。
憎しみの先に行きついたのは・・・
ここから先はかなりというか全ネタバレになりますので読まないほうがよいかと思います。
瓔珞(えいらく)が乾隆帝の妃になってしばらくすると、袁春望(えんしゅんぼう)が延禧宮(えんききゅう)の太監となりました。しかし瓔珞(えいらく)に関する情報は袁春望(えんしゅんぼう)を通じて承乾宮に流れていました。
瓔珞(えいらく)は袁春望(えんしゅんぼう)が裏切っていることを知りました。袁春望(えんしゅんぼう)は「お前のほうが先に裏切ったのだぞ」と言い返しました。
承乾宮に戻った袁春望(えんしゅんぼう)は嫻皇后(かんこうごう)に取り入り呉書来(ごしょらい)を追い落として内務府総管(ないむふそうかん)になりました。
袁春望は嫻皇后に仕え、後宮のあらゆる情報を手にできる立場になりました。
袁春望(えんしゅんぼう)は乾隆帝の出生に関する秘密を呉書来から仕入れ、嫻皇后(かんこうごう)に教えます。
裕太妃(ゆうたいひ)の部屋に皇帝の出生に関する怪文書が置かれ、それを見た弘昼(こうちゅう)が乾隆帝に知らせます。
乾隆帝は皇太后が生母を殺したと疑い、母子の仲が引き裂かれそうになりました。
瓔珞(えいらく)は皇太后を支えて何とか乾隆帝を反省させました。
いったん瓔珞(えいらく)は皇太后と円明園に行き袁春望(えんしゅんぼう)とは接点が無くなりました。
そして三年が経ちました。
瓔珞(えいらく)が紫禁城に戻って来ました。新しい順嬪(じゅんひん)という妃が瓔珞(えいらく)と傅恒(ふこう)を駆け落ちさせようとしました。
その情報を仕入れた袁春望(えんしゅんぼう)は皇后に知らせました。
嫻皇后(かんこうごう)は静観し、袁春望(えんしゅんぼう)はただ駆け落ちに使われるという桶を捕らえただけで関与はしませんでした。
この事件のおかげで乾隆帝と瓔珞(えいらく)の仲は深まりました。
そして十年が経ちました。
瓔珞(えいらく)にも何人かの子が産まれました。
袁春望(えんしゅんぼう)は暗躍して最も皇帝に近いと目されていた永琪(えいき)に深手を負わせ、その異母兄も罪人に仕立てて帝位争いから追い落としました。その表向きの名目は皇后の息子永璂(えいき)を皇帝に据えることでした。
袁春望(えんしゅんぼう)は嫻皇后(かんこうごう)を刺激して帝位争への意欲を引き出しつつ、乾隆帝に皇后が皇子を害していると疑わせました。皇帝の気持ちが遠のいたことで嫻皇后(かんこうごう)の精神はますます不安定になりました。
皇帝から身に覚えのない疑いをかけられた嫻皇后(かんこうごう)は皇后としても窮地に立たされました。
袁春望(えんしゅんぼう)は珍児(ちんじ)と夫婦同然の親しい関係となり、珍児(ちんじ)に皇后の玉佩(ぎょくはい)を盗ませました。
袁春望(えんしゅんぼう)はすっかり気弱になっている嫻皇后(かんこうごう)を和親王に見せつけます。和親王弘昼(こうちゅう)は弱っている皇后に同情して何とかして助けなければと兄を殺す決意をします。
皇后を愛している弘昼(こうちゅう)は皇后に第十二皇子を新しい帝王にすると約束しました。
皇室が南方の視察に船で出向いた時に、弘昼(こうちゅう)が遂に謀反を起こしました。
嫻皇后(かんこうごう)は乾隆帝に振り向いてもらいたい一心で弘昼(こうちゅう)を裏切り謀反を最寄りの杭州府知に知らせました。
謀反が失敗に終わり、弘昼(こうちゅう)が首謀者であることが明らかになりました。
袁春望(えんしゅんぼう)はそこで和親王が皇后と密通しているとして、和親王が持っている皇后の玉佩(ぎょくはい)を明かしました。
そして瓔珞(えいらく)がその場に現れると袁春望(えんしゅんぼう)は誇らしげな表情を見せたのでした。
結末
袁春望(えんしゅんぼう)は最終的に異母弟の弘暦(こうれき)を和親王弘昼(こうちゅう)に暗殺させようと唆して失敗しました。
瓔珞(えいらく)は小全子(しょうぜんし)を袁春望(えんしゅんぼう)の故郷に遣わしました。
袁春望(えんしゅんぼう)は農家の娘で匪賊から逃げて来た雍正帝(ようせいてい)の戯れによって出生したのでした。その証拠に雍正帝(ようせいてい)の衣があったと主張した袁春望(えんしゅんぼう)でしたが、皇太后は先帝の衣は弘暦(こうれき)の生母銭氏が身にまとい匪賊を引き付けたので隠し子の話は嘘だと言いました。袁春望(えんしゅんぼう)は皇太后の言葉にショックを受けて正気を失ってしまいました。
乾隆帝は袁春望(えんしゅんぼう)に肉削ぎの刑を言い渡しましたが皇太后は殺さないで欲しいと懇願しました。
袁春望(えんしゅんぼう)は辛者庫(しんじゃこ)送りとなり、肥桶(福慧)を相手に兄弟ごっこをする場面で終わりました。
瓔珞(えいらく)は袁春望(えんしゅんぼう)が本当に雍正帝(ようせいてい)の息子だとしても真実はどうでもよいと述べました。
袁春望(えんしゅんぼう)の出生の秘密は皇太后だけが知っていました。
残された謎と考察
袁春望(えんしゅんぼう)はやり手の太監です。腕っぷしも強く抜け目がありません。その腕は嫻皇后(かんこうごう)が食糧を民に配った時に見たはずで、最終回で護衛が退出した時に袁春望(えんしゅんぼう)が乾隆帝を殺そうと思えば実戦経験皆無で五十歳代で運動不足のオジサン皇帝と互角に戦えたはずです。でもそうしなかったのは第一の謎です。乾隆帝に足で蹴られて倒れた時も、よけませんでした。
終盤では瓔珞(えいらく)を殺そうとしつつ命乞いをさせて降伏させようとしていました。これは嫻皇后(かんこうごう)が瓔珞(えいらく)を殺してしまわぬように欺いたのではないか?という謎が第二の謎です。嫻皇后(かんこうごう)は袁春望(えんしゅんぼう)が関わらねば病死に見せかけて瓔珞(えいらく)を殺せたと言っていました。
それに、小全子(しょうぜんし)を一時承乾宮に引き抜き瓔珞(えいらく)のもとへ遣わせたのは、小全子(しょうぜんし)が瓔珞(えいらく)を守ると見込んでのことではなかったのか。袁春望(えんしゅんぼう)が確実に瓔珞(えいらく)を仕留めるなら小全子(しょうぜんし)を使ったりはしないでしょうから。
ところが、最終回では弘昼(こうちゅう)に殺されそうになった瓔珞(えいらく)が生還すると、袁春望(えんしゅんぼう)は妙な表情を浮かべていたのです。これが第三の謎です。
瓔珞(えいらく)が袁春望(えんしゅんぼう)の横を通り過ぎると、袁春望(えんしゅんぼう)の口角が僅かに上りました。
袁春望(えんしゅんぼう)は一時的にかいがいしく瓔珞(えいらく)と乾隆帝の仲を取り持っていました。
袁春望(えんしゅんぼう)が憎しみのあまり瓔珞(えいらく)を殺してしまおうと思えばいつでも不審死に見せかけて殺すことができたはずです。これが第四の謎です。ストーリー上の都合と言ってしまえばそれまでですけど。
順嬪(じゅんひん)も一時的におかしくなったことにされましたが、最終回の前でも紫禁城の中で生き延び永珹(えいせい)と会って嫻皇后(かんこうごう)に気を付けるよう忠告しているという前例があります。
皇族や父だけでなく師匠の太監に陥れられて辛酸を舐めた袁春望(えんしゅんぼう)がたくましくも内務府総管に昇りつめました。そんなタフな袁春望(えんしゅんぼう)が皇太后の一言で気が狂ってしまうでしょうか?これが第五の謎です。彼なら生き残るためにおかしくなった芝居をする能力が十分ありますから。もしも袁春望(えんしゅんぼう)が実家にあった雍正帝(ようせいてい)の衣を見ていたとすれば、皇太后が嘘をついていることは彼だけが分かるでしょう。
袁春望(えんしゅんぼう)は瓔珞(えいらく)が埋葬虫(しでむし)の毒に侵されたことをわざわざ乾隆帝に教えてやったのも、瓔珞(えいらく)を助けるためではなかったのでしょうか。黙っていれば瓔珞(えいらく)は皇帝に隠したまま死んでしまったはずですから。これが第六の謎です。
つまり、袁春望(えんしゅんぼう)は瓔珞(えいらく)とその子どもたちの前途を阻む和親王弘昼(こうちゅう)と嫻皇后(かんこうごう)をまとめて廃する機会を作って瓔珞(えいらく)に提供したのではないかと思います。永琪(えいき)も帝位争いで邪魔なので害して排除を試みたものの回復しそうだったので殺そうとした。
袁春望(えんしゅんぼう)は瓔珞(えいらく)を愛するあまりわざと瓔珞(えいらく)を裏切り嫻皇后(かんこうごう)のもとに下ったのではないか。
確かにおかしなな奴を演じてましたけどね。私の思いすぎでしょうか!?今のところネット上で袁春望(えんしゅんぼう)は本当はいい奴説を唱えているのは私だけです!バカなのは私ですw