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全話あらすじと登場人物一覧 瓔珞<エイラク>紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃 ストーリーを詳しく解釈して感想を書きました!

瓔珞<エイラク>紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃 あらすじ一覧と解説

瓔珞(えいらく)全話あらすじと感想一覧

目次

概要

「瓔珞<エイラク>紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃」は2018年に放送された中国ドラマです。

背景

清王朝が物語の舞台です。満州族が支配権を握っており漢民族は権力の中枢から遠ざけられていました。満州族出身の乾隆帝が即位したのが1735年なので、物語の舞台は傅恒(ふこう)の年齢から推測すると1740年前後と考えられます。

主な登場人物

魏瓔珞(ぎえいらく=ウェイ・インロー)

このドラマの主人公。漢民族出身。1月10日に姉の瑛寧(えいねい)が皇宮で殺され復讐を決意して女官となる。ずる賢い。愛の成就や自分の幸せよりも忠義心ゆえの復讐を選ぶことでのし上がっていく。

呉謹言(ウー・ジンイェン, 1990年生まれ)が演じる。2018年放映時には28歳あたり。

乾隆帝(けんりゅうてい)愛新覚羅(アイシンギョロ)弘暦(こうれき)

清王朝の皇帝。決断が早いが賢くはない。傅恒(ふこう)よりも気が短い。従者の名前は李玉(りぎょく)。精神的に幼く自分の気持ちすら理解していない。ゆえに他者の気持ちを解する能力に欠ける。後宮の女性たちとは愛を持って接するのではなく本能のはけ口または政治的な恩寵として関係を持っている。富察皇后との関係についても皇后だから皇后として丁寧に接し愛してやって大事にしているが、本人はまったくそのことに気づいていない。

聶遠(ニェ・ユェン, 1978年生まれ)が演じる。2018年放映時には40歳あたり。

富察皇后(ふちゃこうごう=フチャ・ロンギン)

乾隆帝の正室。1話の時点で乾隆帝の子を失い悲嘆に暮れている。大人しく温厚でも心の中は意外と熱い。すべてのおなごの模範を演じることを強いられている。責任感が強い。侍女の名前は爾晴(じせい)と明玉(めいぎょく)。他に珍珠(ちんじゅ)、翡翠らを従えている。自らを縛らなければ生きていけない可哀そうな女。皇帝のことを愛しているが、皇帝が心から自分を愛していないことを知って心を痛めていながらも受け入れる。

秦嵐(チン・ラン, 1981年生まれ)が演じる。2018年放映時には37歳あたり。

富察傅恒(ふちゃふこう=フチャ・フーヘン)

富察皇后の弟。御前侍衛(ごぜんしえい)で乾隆帝を守る仕事に就いている。表面上はクールで賢い。内面は熱い。エリートで上昇志向だが表向きは隠している。友人は海蘭察(ハイランチャ)と弘昼(こうちゅう)。

このドラマの登場人物の中で最も愛情深いが、それゆえに最も求めている愛が手に入らないという可哀そうな貴公子。

許凱(シュー・カイ, 1995年生まれ)が演じる。2018年放映時には23歳あたり。

後宮

皇太后(こうたいごう)鈕祜禄(ニオフル)氏

乾隆帝の生母。後半から出演回数が増える。いつもにこやかで物好き。仏教への信仰も厚い。さっぱりした性格。

宋春麗(1951年生まれ)が演じる。2018年の時点で63歳頃。

高貴妃(こうきひ)高寧馨(こうねいけい)

高斌(こうひん)の娘。後宮一の美女。父の高斌(こうひん)は乾隆帝に重用され、大きな仕事に携わっている。乾隆帝は高斌(こうひん)の顔を立てて高貴妃(こうきひ)を大切にしている。1話の時点で皇后の地位を狙っている。典型的な意地悪お妃。ドラマでは子はいない。侍女の名前は芝蘭(しらん)。残忍で粘着質な性格。

譚卓(1983年生まれ)の女優が演じる。2018年放送時に35歳頃。

純妃(じゅんひ)蘇(そ)氏 静好(せいこう)

乾隆帝の妃の一人。ドラマの前半では子はいないどころか純潔を貫いている。侍女の名前は玉壺(ぎょくこ)。人前での振舞いは穏やかで大人しく医学の知識がある。美女なのに乾隆帝への夜のおつとめを避け続ける。本当の性格は!?

王媛可(1984年生まれ)が演じる。2018年の時点で34歳頃。

嫻妃(かんひ)輝発那拉(ホイファナラ)氏淑慎(しゅくしん)

乾隆帝の妃の一人。ドラマ前半では子はいない。侍女の名前は珍児(ちんじ)。人前での振舞いは徳が厚く落ち着いている。本当の性格は!?

佘詩曼(1975年生まれ)が演じる。2018年の時点で43歳頃。

舒貴人(じょきじん)納蘭(ナーラン)氏

1話で秀女選びで乾隆帝に見いだされた妃。初登場回から意地悪。

李春媛(1990年生まれ)が演じる。2018年の時点で28歳頃。

嘉貴人(かきじん)

高貴妃(こうきひ)の手下。皇子永珹(えいせい)の生母。初登場回から意地悪。

潘时七(1987年生まれ)が演じる。2018年の時点で31歳頃。

愉貴人(ゆきじん)珂里葉特(けりえて)氏

1話の時点で乾隆帝の子どもを懐妊中。無垢で気が弱い性格。前半での性格は天真爛漫だが・・・。

練束梅が演じる。年齢不詳。

怡嬪(いひん)

愉貴人(ゆきじん)の友人。まじめで情が厚い。

徐百卉(1983年生まれ)が演じる。2018年の時点で35歳頃。

裕太妃(ゆうたいひ)

乾隆帝の異母弟、弘昼(こうちゅう)の母。仏教を厚く信仰している。乾隆帝に息子を殺されることを恐れており息子に愚か者を演じるように教育した。表向きは善人を装っているが本当は残忍な性格。

白珊(1969年生まれ)が演じる。2018年の時点で51歳頃。

嘉嬪(かひん)

後半から登場する。嘉貴人(かきじん)と同じ一族。皇帝曰く見る目麗しい。

慶貴人(けいきじん)陸氏

後半から登場する。皇帝曰く純真。舒貴人(じょきじん)に付いている。

李若寧(1990年生まれ)が演じる。2018年の時点で28歳頃。

頴貴人(えいきじん)巴林(バリン)氏

たまに登場する。

劉璐(1977年生まれ)が演じる。2018年の時点で41歳頃。

順嬪(じゅんひん)鈕祜禄(ニオフル)氏

59話から登場。庶民と一緒に育ったので不作法。ところが皇帝は気に入った様子。侍女は遺珠。

女官

紫禁城の女奴婢(奴隷)。

張女官(ちょうにょかん)

繍坊の女官。瓔珞(えいらく)に優しい。

何佳怡(1978年生まれ)が演じる。2018年の時点で40歳頃。

方女官(ほうにょかん)

繍坊の女官長。意地悪。お金になびくタイプ。

錦繍(きんしゅう)

繍坊の女官。瓔珞(えいらく)の同期。意地悪。表裏は無い。

玲瓏(れいろう)

繍坊の女官。瓔珞(えいらく)の同期。人前では優等生を演じている。本当の性格は陰険。

吉祥(きっしょう)

繍坊の女官。瓔珞(えいらく)の同期で友達。玲瓏(れいろう)と親戚。おっちょこちょい。明るい性格。

爾晴(じせい)

富察皇后(ふちゃこうごう)付きの女官。人前での性格は温厚で大人しく優しく規律に厳しい。本当の性格は後宮に来て以来封印している。上三旗出身の包衣(ボーイ=しもべ階級だが内務府の役人の)出身。祖父は刑部尚書と議政大臣を兼任。

蘇青(1989年生まれ)が演じる。2018年放送時に29歳頃。

明玉(めいぎょく)

富察皇后(ふちゃこうごう)付きの女官。おてんば。料理が上手。

姜梓新(1996年生まれ)が演じる。2018年放送時に22歳頃。

珍珠(ちんじゅ)

富察皇后付きの女官。無垢。

琥珀(こはく)

富察皇后付きの女官。意地悪。

杨净如が演じる。

翡翠(ひすい)

富察皇后付きの女官。

瑪瑙(ばとう)

富察皇后付きの女官。

芝蘭(しらん)

高貴妃(こうきひ)付きの女官。意地悪。

珍児(ちんじ)

嫻妃(かんひ)付きの女官。

方安娜が演じる。

玉壺(ぎょくこ)

純妃(じゅんひ)付きの女官。

芳草(ほうそう)

愉貴人(ゆきじん)付きの女官。

阿双(あそう)

嘉貴人(かきじん, 1人目)付きの女官。

百霊(はくれい)

裕太妃(ゆうたいひ)付きの女官。意地悪。

劉女官(りゅうにょかん)1

皇太后付きの女官。

劉女官(りゅうにょかん)2

辛者庫(しんじゃこ)の女官。皆を鞭で叩くほど厳しい。お金になびくタイプ。

氷清(ひょうせい)

方女官の部下。序盤に登場する。

阿満(あまん)

瓔珞(えいらく)の姉。1月10日に殺される。斉佳慶錫(ちぎゃけいしゃく)が想い人だった。序盤に登場する。

清蓮(せいれん)

富察家の侍女。

方楚彤(1993年生まれ)が演じる。2018年放送時に25歳頃。

遺珠(いじゅ)

順嬪(じゅんひん)の侍女。59話から登場。

侍衛(しえい)

紫禁城の警備兵。

海蘭察(ハイランチャ)

傅恒(ふこう)の親友。明玉(めいぎょく)と馬が合う。明るい性格。

王冠逸(1988年生まれ)が演じる。2018年の時点で30歳頃。

斉佳慶錫(ちぎゃけいしゃく)

阿満(あまん)の恋人。序盤に登場する。

太監(たいかん)

いわゆる宦官のこと。紫禁城内の世話係。男奴婢(奴隷)。

李玉(りぎょく)

乾隆帝の世話係で総管。

徳勝

李玉(りぎょく)の部下。

袁春望(えんしゅんぼう)

濡れ衣を着せられた太監。

王茂蕾(1976年生まれ)が演じる。2018年の時点で42歳頃。

呉書来(ごしょらい)

内務府の太監長。

趙慶(ちょうけい)

太監長。袁春望(えんしゅんぼう)の師。

張管事(ちょうかんじ)

辛者庫(しんじゃこ)の太監。同性愛者。

小全子(しょうぜんし)

延禧宮(えんききゅう)の太監。コソ泥。

小路子(シャオローツ)

少年の太監。

尽忠(じんちゅう)

永珹(えいせい)付きの太監。終盤で登場。

皇族

愛新覚羅(アイシンギョロ)氏など周辺人物です。

雍正帝(ようせいてい)

乾隆帝の父です。

李宗翰がえんじています。

和親王(わしんのう)弘昼(こうちゅう)

乾隆帝の異母弟です。母は裕太妃(ゆうたいひ)です。

洪尧(1989年生まれ)が演じています。2018年の時点で29歳頃です。

八伯父

雍正帝(ようせいてい)と皇位を争った人物です。

怡親王(いしんのう)

乾隆帝を支える皇族の一人です。

履親王(りしんのう)允祹(いんとう)

23話に登場する乾隆帝に近い皇族です。

平郡王(へいぐんのう)福彭(ふくほう)

23話に登場する乾隆帝に近い皇族です。

慎郡王(しんぐんのう)允禧(いんき)

23話に登場する乾隆帝に近い皇族です。真面目な性格のようです。

弘噡(こうえん)

23話に登場する少年の皇族です。弘昼(こうちゅう)の弟のようです。

皇子

乾隆帝と妃嬪(ひひん)との間にできた男の子です。

永琮(えいそう)

富察皇后(ふちゃこうごう)が命がけで産んだ子どもです。夭折しました。国を治める者という意味がありました。

永瑢(えいよう)

純妃(じゅんひ)が産んだ子どもです。玉佩(ぎょくはい)が鳴る者という意味がありました。

永珹(えいせい)

嘉貴人(かきじん, 1人目)の子どもです。

永璉(えいれん)

富察皇后(ふちゃこうごう)が生んだ子ども。賢かったが9歳で夭折。

永琪(えいき)

第五皇子。愉妃(ゆひ)の息子。

永璂(えいき)

第十二皇子。嫻妃(かんひ)の息子。

永琰(えいえん)

第十五皇子。瓔珞(えいらく)の息子。

皇女

和安公主

皇太后の娘。

固倫和静公主

第七皇女。64話で名前のみ登場。瓔珞(えいらく)の娘。昭華(しょうか)。

和碩和恪公主

第九皇女。64話で名前のみ登場。瓔珞(えいらく)の娘。昭瑜(しょうゆ)。

高官

乾隆帝の臣下です。

高斌(こうひん)

高貴妃(こうきひ)の父です。高貴妃(こうきひ)が言うには正妻を捨てて後妻との間に子をもうけました。ドラマでは治水が主な職務だったようです。富察氏の政敵です。

張廷玉(ちょうていぎょく)

乾隆帝が大事にしていた臣下です。老いても甘い汁を吸っているようです。

鄂爾泰(オルタイ)

乾隆帝の臣下で実力者で派閥の領袖です。高斌(こうひん)は鄂爾泰(オルタイ)の派閥に入っています。

訥親(ナチン)

重臣です。後半では既に亡くなったようです。

魏清泰(ぎせいたい)

瓔珞(えいらく)の父です。瓔珞(えいらく)を川に捨てたことがあり愛情が無いようです。奴婢階級だったようですが娘を利用して高位に昇りました。

劉真(りゅうしん)

69話で登場。杭州府知。

太医院(太醫院)

御膳侍医です。

張院判(ちょういんはん)

主席のエリート医師です。

葉天士(ようてんし)

巷(ちまた)の名医です。皇宮に召し抱えられることになりました。張院判(ちょういんはん)にもわからない病を見抜いて治療しました。

朝敵

霍蘭部(フォランぶ)

朝廷と敵対する勢力。愛必達(アイビダ)が棟梁。

あらすじ解説

前半のあらすじ

魏瓔珞(えいらく)は生まれた時に母が死に、姉の瑛寧(えいねい)によって育てられました。父の魏清泰(ぎせいたい)は瓔珞(えいらく)を川に投げ捨てたことがあり、一族の男たちも皆薄情でした。瓔珞(えいらく)は姉を母のように慕っていました。瑛寧は貧しい人に食事を振舞うなど優しい人でした。

ある日、瑛寧は紫禁城の女官に就職しました。瑛寧は斉佳慶錫(ちぎゃけいしゃく)という侍衛(しえい)を想っていました。しかし瑛寧は何者かに強姦されたうえに殺されてしまいました。

魏清泰(ぎせいたい)は姉の不名誉な死を一族の恥と思い墓に埋葬しませんでした。瑛寧の墓は無く、瓔珞(えいらく)は骨壺を大切に持っていました。瑛寧の首に絞められた跡があることに気づいた瓔珞(えいらく)は復讐するため紫禁城に入り刺繍女官となりました。

繍坊に配属された瓔珞(えいらく)は類まれなる刺繍の才能を発揮しました。しかしそれをよく思わない同期の錦繍(きんしゅう)と玲瓏(れいろう)は仲間たちと共に瓔珞(えいらく)に濡れ衣を着せました。瓔珞(えいらく)は自分の無実を証明して錦繍(きんしゅう)を辛者庫(しんじゃこ)送りに、友人の吉祥を殺した玲瓏(れいろう)は職を剥奪したうえ杖刑(じょうけい)八十回の後に寧古塔(ねいことう)に流刑となりました。

錦繍(きんしゅう)が瓔珞(えいらく)を売ったため、高貴妃(こうきひ)に目を付けられました。

瓔珞(えいらく)は富察皇后(ふちゃこうごう)の弟、富察傅恒(フチャふこう)の玉佩(ぎょくはい)が姉が死んでいた場所にあったため、策を弄して長春館の女官になりました。富察皇后(ふちゃこうごう)は高貴妃(こうきひ)と敵対していました。皇后の座を狙っていた高貴妃(こうきひ)は他の妃嬪(ひひん)たちを味方に誘い事あるごとに富察皇后(ふちゃこうごう)を攻撃していました。

高貴妃(こうきひ)は嫻妃(かんひ)を味方に引き入れようと、持ち物を密貿易してお金を手に入れようとした嫻妃(かんひ)の弱みを握ります。嫻妃(かんひ)は賄賂を贈ることができずに母と弟は亡くなってしまいました。嫻妃(かんひ)は高貴妃(こうきひ)を激しく憎むようになりました。

瓔珞(えいらく)は富察皇后(ふちゃこうごう)を守るために奔走するうちに、御前侍衛(しえい)の傅恒(ふこう)と慕い合う関係になりました。

瓔珞(えいらく)は富察皇后(ふちゃこうごう)から教養を教えてもらい、明玉(めいぎょく)も瓔珞(えいらく)の忠義心を認めるようになりました。

瓔珞(えいらく)は富察皇后(ふちゃこうごう)に罪をなすり付けようとした高貴妃(こうきひ)と嘉貴人(かきじん)の陰謀を明るみにし、皇帝が処断しました。

しかし何と高貴妃(こうきひ)と嘉貴人(かきじん)は嫻妃(かんひ)によって殺されてしまいます。

そんな中、瓔珞(えいらく)は姉の死の真相を明らかにし、姉を犯した犯人と殺した犯人は別であることを知りました。姉を犯した弘昼(こうちゅう)は傅恒(ふこう)の助言によって瑛寧を側室に引き上げ魏清泰(ぎせいたい)に内務府の官職を与えて姻戚関係になりました。貴族の仲間入りをした魏清泰(ぎせいたい)は喜びましたが瓔珞(えいらく)は渋々謝罪を受け入れました。

この頃より乾隆帝は瓔珞(えいらく)のことが気になるようになりました。

弘昼(こうちゅう)もまた美しい瓔珞(えいらく)に興味が湧きましたが傅恒(ふこう)が再三忠告するので引き下がりました。

激しい雷雨の夜、瓔珞(えいらく)は姉を殺した裕太妃(ゆうたいひ)のところに行って天の裁きを仰ぎました。すると雷が裕太妃(ゆうたいひ)に直撃して裕太妃(ゆうたいひ)は亡くなりました。弘昼(こうちゅう)は瓔珞(えいらく)を憎みましたが、忍耐強い嫻妃(かんひ)と出会い、耐えながら機会を伺うことを学びました。

裕太妃(ゆうたいひ)の件で富察皇后(ふちゃこうごう)は瓔珞(えいらく)を辛者庫(しんじゃこ)送りにしました。そうしなければ乾隆帝が瓔珞(えいらく)を殺すからです。

辛者庫(しんじゃこ)に行った瓔珞(えいらく)は袁春望(えんしゅんぼう)という左遷された太監と義兄妹の関係になりました。出会ってすぐに瓔珞(えいらく)に結婚を申し込むほど惚れていた袁春望(えんしゅんぼう)はかいがいしく瓔珞(えいらく)の世話を焼き始めます。

袁春望(えんしゅんぼう)は先帝である雍正帝(ようせいてい)の庶子で、捨てられたところを皇宮に舞い戻り、師匠や八伯父に騙されて奴隷にされたのでした。袁春望(えんしゅんぼう)は先帝の皇子の馬になり、皇子が死ねば罰せられて捨てられました。大人になった袁春望(えんしゅんぼう)は師匠の裏切りに遭い高貴妃(こうきひ)の命により辛者庫(しんじゃこ)送りとなったのです。

辛者庫(しんじゃこ)にいた錦繍(きんしゅう)は瓔珞(えいらく)に攻撃を仕掛けますが瓔珞(えいらく)は簡単に撃退しました。

瓔珞(えいらく)が皇后を守れなくなったので、高貴妃(こうきひ)はその隙に富察皇后(ふちゃこうごう)を階段から突き落として昏睡させました。

傅恒(ふこう)は瓔珞(えいらく)に求婚していました。瓔珞(えいらく)は富察皇后がこん睡状態なのでいったん断りました。

瓔珞(えいらく)は高貴妃(こうきひ)が出身地の民を強制連行して熱した鉄の粉に触れさせ苦しめていること知り、それを利用して高貴妃(こうきひ)に火花を浴びせました。

高貴妃(こうきひ)に追い打ちを掛けたのは何と嫻妃(かんひ)でした。嫻妃(かんひ)は火花に金粉を混ぜて高貴妃(こうきひ)に病を移したのでした。

余命一か月となった高貴妃(こうきひ)は自害して果てました。

純貴妃(じゅんきひ)が瓔珞(えいらく)に「高貴妃(こうきひ)を呪い殺した」という濡れ衣を着せました。瓔珞(えいらく)は自分の力だけで皇帝の尋問を切り抜けました。瓔珞(えいらく)を罠にかけた女官は罰せられました。傅恒(ふこう)は姉に「つらくて眠っている振りはやめてください」と懇願し瓔珞(えいらく)を助けるよう求めましたが皇后は無視して寝たふりを続けました。

高貴妃(こうきひ)が死に、瓔珞(えいらく)は夜中にこっそり富察皇后(ふちゃこうごう)を見舞っていました。

傅恒(ふこう)が瓔珞(えいらく)を慕っていることを知った富察皇后は以前より結婚を認めていました。

富察皇后(ふちゃこうごう)は目覚めました。

乾隆帝は傅恒(ふこう)と瓔珞(えいらく)の結婚を赦しませんでした。

富察皇后(ふちゃこうごう)は乾隆帝に「私心があるのでは?」と指摘しましたが皇帝はその忠告を無視して避けていたのでした。

富察傅恒(ふこう)を慕っていたのは瓔珞(えいらく)だけではありませんでした。女官の爾青(じせい)と純妃(じゅんひ)も密かに傅恒(ふこう)を好きでした。

今の地位に満足できない爾青(じせい)は乾隆帝を誘惑してみましたが、反応はありませんでした。

乾隆帝が瓔珞(えいらく)に恋をしていることを爾青(じせい)は利用しました。爾青(じせい)は傅恒(ふこう)と瓔珞(えいらく)が会って話をしているところを乾隆帝に見せつけました。

その隙に爾晴(じせい)は傅恒(ふこう)と結婚して紫禁城を出ました。

乾隆帝はあいびきした罪として土下座しながら各宮を十二刻巡るように命じました。

雪が降り積もる日に、瓔珞(えいらく)は各宮を土下座して回っていました。心配になった袁春望(えんしゅんぼう)は瓔珞(えいらく)を陰から見守っていました。傅恒(ふこう)と爾晴(じせい)は結婚の報告に参内して瓔珞(えいらく)とすれ違いました。

瓔珞(えいらく)が雪の中に倒れると、乾隆帝は瓔珞(えいらく)を抱きかかえて自分の寝台に寝かせつけて「そのおなごをきれいにせよ」と李玉(りぎょく)に命じました。

目覚めた瓔珞(えいらく)は貴族の服に着替えさせられました。

待っていた乾隆帝は瓔珞(えいらく)を我が物にしようとするのですが、機転を利かせた瓔珞(えいらく)は逃げおおせ、長春宮に仕える許可を得てしまいました。

瓔珞(えいらく)は富察皇后(ふちゃこうごう)と明玉(めいぎょく)との絆を取り戻しました。

瓔珞(えいらく)は明玉(めいぎょく)とともに皇后を支え続けました。

ある日、富察皇后はやっと歩けるまでに回復しました。

しかし爾青(じせい)が舞い戻って来て皇后の世話を焼き始めました。爾青(じせい)は横柄な態度で瓔珞(えいらく)を攻撃し皇后に懐妊薬を飲ませました。

しかしその弱った体で皇帝の寵愛を受けた富察皇后(ふちゃこうごう)は懐妊します。

爾青(じせい)は隙をついて泥酔した乾隆帝とねんごろな契りを結び紫禁城を出てフチャ家に戻りました。

富察皇后(ふちゃこうごう)は命を懸けて皇子を出産しましたが、純貴妃(じゅんきひ)に皇子を殺されてしまいました。

絶望した富察皇后(ふちゃこうごう)は自害しました。

皇后がいなくなった隙に嫻妃(かんひ)は皇太后に取り入り嫻皇貴妃(かんこうきひ)に昇格し、純妃(じゅんひ)は皇帝の寵愛を受けて皇子を出産して純貴妃(じゅんきひ)に昇格していました。

瓔珞(えいらく)は円明園に送られ、明玉(めいぎょく)は鍾粋宮(しょうすいきゅう)に送られました。袁春望(えんしゅんぼう)は瓔珞(えいらく)を追って円明園に配属されました。

後半のあらすじ

そして3年ほどが経ちました。

円明園で皇太后の誕生の催しが開かれることになりました。

瓔珞(えいらく)は明玉(めいぎょく)の様子がおかしいことに気が付きました。明玉(めいぎょく)は純貴妃(じゅんきひ)により針を体に埋め込まれて危うく絶命するところでした。葉天士は明玉(めいぎょく)の身体からほとんどの針を抜くことに成功しました。瓔珞(えいらく)はここで純貴妃(じゅんきひ)が富察皇后(ふちゃこうごう)を死に追いやり皇子を殺したことに気が付きました。

純貴妃(じゅんきひ)は瓔珞(えいらく)の寝込みを太監に襲わせましたが、瓔珞(えいらく)は叫び声をあげたので袁春望(えんしゅんぼう)たちが駆け付け事なきを得ました。

もう我慢ならなくなった瓔珞(えいらく)は皇太后を喜ばせて寿康宮(じゅこうきゅう)の女官になろうとします。それを察知した乾隆帝は瓔珞(えいらく)を貴人に冊封しました。袁春望(えんしゅんぼう)は瓔珞(えいらく)と皇帝を激しく憎みました。

乾隆帝は富察皇后(ふちゃこうごう)を弔う寝殿で夜伽をせよと瓔珞(えいらく)に命じました。乾隆帝が瓔珞(えいらく)を弄んで貶めようとしていたことを見向いた瓔珞(えいらく)は衣の内側に喪服を着て皇后への忠誠心を皇帝に見せつけ難を逃れました。

魏貴人となった瓔珞(えいらく)に延禧宮(えんききゅう)が与えられました。瓔珞(えいらく)は雑草が覆い繁るさびれた宮と忠義心のかけらもない女官と太監をまず何とかしなければなりませんでした。明玉(めいぎょく)と珍珠(ちんじゅ)と琥珀が配されました。琥珀は何かと瓔珞(えいらく)に楯突きました。

後宮の勢力図はすっかり変わり、嫻皇貴妃(かんこうきひ)が妃嬪(ひひん)たちを束ね、純貴妃(じゅんきひ)が寵愛を受け、愉妃(ゆひ)が純貴妃(じゅんきひ)に取り入っていました。舒貴人(じょきじん)は舒嬪(じょひん)に昇格し、新たに嘉嬪(かひん)が入内していました。慶貴人や婉嬪(えんひん)といった妃もいました。

瓔珞(えいらく)は皇太后に民間の物語を聞かせて喜ばせました。乾隆帝は瓔珞(えいらく)の話に喜ぶ母を見て、瓔珞(えいらく)のことが気になり毎日のように寿康宮(じゅこうきゅう)を訪れるようになりました。

ある日、乾隆帝が母のもとへ行くと瓔珞(えいらく)の姿はありませんでした。李玉(りぎょく)はうっかり「魏貴人様はお風邪を召されて喉を痛めておられます」と言ってしまいました。

乾隆帝が延禧宮(えんききゅう)を見に行くと、瓔珞(えいらく)は琥珀にいじめられていました。乾隆帝は琥珀を杖刑(じょうけい)と辛者庫(しんじゃこ)送りにして罰しました。延禧宮(えんききゅう)に仕える者たちはそれを見て瓔珞(えいらく)に従うようになり、荒れていた宮殿がきれいに整えられました。

夜になり、瓔珞(えいらく)は屋上の庭で休んで梔子の香りと月を愛でていました。乾隆帝は瓔珞(えいらく)を抱きかかえると、一夜を共に過ごしました。

それ以降、三日三晩乾隆帝が瓔珞(えいらく)のもとに通う様子を知り嘉嬪(かひん)は激しく嫉妬しました。

嘉嬪(かひん)は瓔珞(えいらく)と富察傅恒(フチャふこう)が密通しているという噂を宮中に振りまくと、再び延禧宮(えんききゅう)の奴婢たちの士気が下がりました。

富察皇后(ふちゃこうごう)の命日の日。瓔珞(えいらく)は傅恒(ふこう)と偶然出会い、少しだけ話をしました。瓔珞(えいらく)は傅恒(ふこう)に遠ざかるよう忠告しましたが、傅恒(ふこう)の愛は変わりありませんでした。

瓔珞(えいらく)を陥れた嘉嬪(かひん)は皇帝の知る処となり禁足を命じられました。

瓔珞(えいらく)は皇帝に「私の主は一人、私の夫は生涯でただ一人」と誓い信頼を獲得しました。

純貴妃(じゅんきひ)は愉妃(ゆひ)を手先にして瓔珞(えいらく)を陥れました。

瓔珞(えいらく)は自分だけの力で難を乗り切りました。袁春望(えんしゅんぼう)は延禧宮(えんききゅう)の総管に志願しました。

純貴妃(じゅんきひ)は応答に降格させられ、嫻皇后(かんこうごう)に殺されました。愉妃(ゆひ)は皇太后の命令により尼寺送りとなりました。

愉妃(ゆひ)は純貴妃(じゅんきひ)が悪事を働いている証拠を得るためわざと悪者になったと瓔珞(えいらく)に教えました。愉妃(ゆひ)は瓔珞(えいらく)に息子の永琪(えいき)を託しました。

嫻皇后(かんこうごう)の父、那爾布(ナルブ)は一度賄賂を受け取って罰せられてからは清廉潔白を貫いていました。皇族をはじめとする官吏が救済米をくすねていました。ナルブは皇帝から賜った土地や先祖代々の屋敷を売り払い民を救っていました。しかし天災で飢えた民を鎮めることができませんでした。

横領の罪を着せられた那爾布(ナルブ)でしたが皇后の頼みで処刑は免れました。しかし皇太后は実家も米を横領しているので那爾布(ナルブ)を悪者に仕立てて殺してしまいました。皇太后はそれ以来嫻皇后(かんこうごう)を冷遇しはじめ親蚕礼(しんさんれい)も許可を出しませんでした。皇后に同情した弘昼(こうちゅう)は乾隆帝に直訴して親蚕礼(しんさんれい)を行えるようにしました。嫻皇后(かんこうごう)は一族を危機から救うために盛大に親蚕礼(しんさんれい)を行う計画でした。

傅恒(ふこう)に禁足を命じられていた爾青(じせい)は親蚕礼(しんさんれい)で悪事を働こうと富察家を抜け出しました。爾青(じせい)は乾隆帝と面談して禁足を解くよう傅恒(ふこう)に命じて欲しいと頼みました。乾隆帝は「考えておく」と言っただけで言葉を濁しました。

瓔珞(えいらく)は爾青(じせい)が紫禁城に来た機会を逃しませんでした。瓔珞は富察皇后(ふちゃこうごう)の仇を討つため爾青(じせい)を長春宮の前皇后の遺影の前に呼び出し自害を迫りました。しかし爾青は従わなかったため袁春望(えんしゅんぼう)が取り押さえ明玉(めいぎょく)が手を下しました。

瓔珞の動向を知っていた嫻皇后(かんこうごう)は乾隆帝を長春宮に誘導しました。乾隆帝は瓔珞(えいらく)が自分と爾青(じせい)とのふしだらな契りがあったことを知っていたことに都合が悪くなり、それ以来瓔珞(えいらく)を避けるようになりました。

乾隆帝の来臨が無くなった瓔珞(えいらく)は皇太后に取り入りました。

嫻皇后(かんこうごう)は皇太后に復讐するために袁春望(えんしゅんぼう)を内務府総管に任命しました。総管だった呉書来(ごしょらい)の権威は失墜し、袁春望に脅されて先帝の秘密を漏らしてしまいました。

乾隆帝の出征に疑惑があることを知った嫻皇后(かんこうごう)は怪文書を寿安宮(じゅあんきゅう)の棚に隠して和親王に発見させました。

和親王弘昼(こうちゅう)は乾隆帝にこのことを知らせました。

乾隆帝は自分の出自について海蘭察(ハイランチャ)に調査を命じましたが記録によれば明らかに皇太后が生んだ息子となっていました。

乾隆帝は母に直接尋ねるほかないと思い、寿康宮(じゅこうきゅう)を訪れます。

偶然寿康宮(じゅこうきゅう)に来ていた瓔珞(えいらく)は皇太后と乾隆帝の話を聞いてしまいました。

皇太后は確かに乾隆帝の生みの母ではありませんでしたが、銭氏が雍正帝(ようせいてい)との間に生んだ子を自分の子として育てました。

乾隆帝は怪文書(裕太妃(ゆうたいひ)の遺書を装った文書)にあった通り皇太后が銭氏を殺し、さらには皇太后が証人の銭正源(せんせいげん)を殺したと思い皇太后が生母を殺したという疑いを強めました。

証人を殺したのは嫻皇后(かんこうごう)でした。

嫻皇后(かんこうごう)は皇太后に迫りました。

「皇太后様ご安心ください。陛下は皇太后様を殺しはしません。ですがお赦しにならぬでしょう。ただし英華殿の菩薩のように使い道のない置物となるでしょう。あなたは後悔に苦しみながら生きるのです。」

皇太后は罵られたショックで中風になって倒れて口が不自由になりました。

嫻皇后(かんこうごう)は張院判(ちょういんはん)を懐柔して中風の薬ではなく、効きもしない高級な薬を処方させました。

瓔珞(えいらく)は葉天士に張院判(ちょういんはん)の処方を見せました。葉天士は中風の薬を処方しました。しかしなぜか劉女官(りゅうにょかん)が葉天士の処方箋を破り捨てました。

瓔珞(えいらく)は慶貴人に閲微草堂筆記(えつびそうどうひっき)を読ませて皇帝を諭しました。

乾隆帝は生母が雍正帝(ようせいてい)を守るために敵に辱められたことを知りショックを受けました。皇太后は銭氏の秘密をずっと守り続けたのでした。乾隆帝は王天一を呼んでこの話が本当であることを知りました。

皇太后は療養のために円明園に瓔珞(えいらく)を連れて行くことにしました。

慶貴人は乾隆帝に、銭氏を殺したのは実は雍正帝(ようせいてい)であったと打ち明けました。乾隆帝は父が自分を守るために生母を殺したことを知りました。

乾隆帝は産みの母より育ての母だと悟り、母が乗った馬車を追いかけて謝罪しました。

皇太后は中風になった振りをして嫻皇后(かんこうごう)を欺いていたのでした。

皇太后は乾隆帝を赦すことなく円明園に行きました。

終盤のあらすじ

円明園で三年の歳月が経ちました。

嫻皇后(かんこうごう)は二人の皇子を産み、舒妃(じょひ)も嘉妃(かひ)もそれぞれ皇子を産んで昇進していました。

瓔珞(えいらく)は皇太后と明玉(めいぎょく)と小全子(しょうぜんし)たちと悠々自適の日々を送っていました。そんな時、富察傅恒(フチャふこう)がやって来て紫禁城に新たな敵が入内して乾隆帝を虜にしていると知らせました。皇太后も瓔珞(えいらく)にいつまでも自分に頼っていては後ろ盾がいなくなったら生きていくのは厳しいと叱咤しました。

瓔珞(えいらく)は紫禁城に戻りました。

順嬪(じゅんひん)鈕祜禄(ニオフル)氏は入内して三月の間、ずっと乾隆帝を独り占めしていました。

嫻皇后(かんこうごう)は舒妃(じょひ)と嘉妃(かひ)と同盟を結び順嬪(じゅんひん)を排除しようとしていました。

瓔珞(えいらく)は嫻皇后(かんこうごう)に仲間になるよう誘われました。

皇太后も円明園から戻って来ました。

皇太后は溺愛していた実の娘、和安公主の法要を行うことにしました。

嫻皇后(かんこうごう)は法要で順嬪(じゅんひん)を妖魔に仕立てて殺そうと企んでいました。

企みを見破った瓔珞(えいらく)は順嬪(じゅんひん)を守りました。

しかし順嬪(じゅんひん)は瓔珞(えいらく)を陥れようと企み嫻皇后(かんこうごう)と手を組みます。

順嬪(じゅんひん)は海蘭察(ハイランチャ)と婚礼寸前だった明玉(めいぎょく)を自害に追い込み、怒った瓔珞(えいらく)が自分を傷つけたと言って罪をねつ造しました。

瓔珞(えいらく)は延禧宮(えんききゅう)に幽閉されました。

袁春望(えんしゅんぼう)は瓔珞(えいらく)を餓死させようと食事を減らしました。

飢え死にしそうな明玉(めいぎょく)に順嬪(じゅんひん)は傅恒(ふこう)との駆け落ちをすすめました。

順嬪(じゅんひん)はさらに富察傅恒(フチャふこう)にも駆け落ちの日時と場所を指定しました。

順嬪(じゅんひん)は乾隆帝に瓔珞(えいらく)と傅恒(ふこう)が駆け落ちしようとしていると嘘をつきました。

瓔珞(えいらく)は乾隆帝の前で順嬪(じゅんひん)の企みを明らかにしました。

乾隆帝も以前より順嬪(じゅんひん)を疑い調べさせていたところ、順嬪(じゅんひん)が敵の愛必達(アイビダ)の娘で子持ちの既婚者でることが明らかになりました。

順嬪(じゅんひん)は皇帝の体面を保つためにも狂ったことにしてもらい、後宮に残れることになりました。

懐妊した瓔珞(えいらく)は嫻皇后(かんこうごう)と停戦協定を結びました。

終盤から最終回までのあらすじ

十年が経ちました。

瓔珞(えいらく)は歳の頃、36歳~37歳になっていました。瓔珞(えいらく)には第十五皇子永琰(えいえん)や昭華などの皇女がいました。

嫻皇后(かんこうごう)は46歳~47歳になり老いを気にするようになり皇帝の愛がさらに遠のくのではないかと不安になっていました。皇后には永璂(えいき)という第十二皇子がいました。

舒妃(じょひ)の息子は夭折していました。

瓔珞(えいらく)は二人の娘を皇太后の養女にし、皇子永琰(えいえん)を慶妃(けいひ)の養子に出し愉妃(ゆひ)の息子、第五皇子永琪(えいき)を我が子として立派に育てました。

嫻皇后(かんこうごう)は嘉貴人(かきじん)の息子永珹(えいせい)を我が子同然に育てていました。

乾隆帝の子どもたちは大きくなりました。

特に愉妃(ゆひ)の息子永琪(えいき)は傅恒(ふこう)から軍事を積極的に学び学問にも優れ最も次期帝王に近いと噂していました。

永琪(えいき)に嫉妬した異母兄の永珹(えいせい)は、太監の尽忠(じんちゅう)を使って永琪(えいき)の銃に細工をしました。それを知った袁春望(えんしゅんぼう)はさらに手を加えて永琪(えいき)の銃を暴発させました。永琪(えいき)は脚に重症を負って帝位を継げなくなりました。

それを悲しんだ乾隆帝は永琪(えいき)を親王に冊封しました。

瓔珞(えいらく)は我が子同然で友人の息子永琪(えいき)に重傷を負わせた犯人として皇后を疑いましたが証拠がありませんでした。

袁春望(えんしゅんぼう)は珍児(ちんじ)を使って永珹(えいせい)を皇子暗殺未遂の犯人に仕立て上げました。珍児(ちんじ)は永珹(えいせい)に食事を運び皇后が毒を盛ったと嘘をつきました。永珹(えいせい)は皇后が永琪(えいき)に続き自分を殺して十二皇子の帝位を狙っている真犯人だと釈明しましたが、分が悪く罪人として宗人府送りとなり帝位争いから脱落しました。

珍児(ちんじ)は袁春望(えんしゅんぼう)に求婚するほど惚れこんでいました。

袁春望(えんしゅんぼう)は珍児(ちんじ)を利用して嫻皇后(かんこうごう)の精神を不安定にさせました。そうでもしなければ嫻皇后(かんこうごう)は瓔珞(えいらく)との停戦協定を破り帝位争いに乗り出さないからでした。

永琪(えいき)の事件で皇后が黒幕として疑われ、乾隆帝の嫻皇后(かんこうごう)への寵愛はますます遠のきました。嫻皇后(かんこうごう)はさらに焦りました。

瓔珞(えいらく)貴妃(きひ)は慶妃(けいひ)と舒妃(じょひ)を従え皇太后の一派までのぼりつめていました。

袁春望(えんしゅんぼう)は瓔珞(えいらく)の息子で6歳になる永琰(えいえん)の筆を毒入りの筆にすり替え、筆の贈り主である舒妃(じょひ)に罪をなすりつけようとしました。

慶妃(けいひ)は舒妃(じょひ)を一時犯人と疑い激高しましたが、瓔珞(えいらく)は皇后はこのような稚拙なやり方で陥れることは無いので真犯人は別にいると見抜きました。

舒妃(じょひ)は自分の体面を守るために皇太后に自分が陥れられたことを訴えに行きました。

皇太后は舒妃(じょひ)の話を信じ、皇后が皇子を守れなかったので乾隆帝とともに瓔珞(えいらく)を皇貴妃(こうきひ)に封じることを考え始めました。

(※こうなるようにしたのは袁春望の企みです。)

精神を病み始めた嫻皇后(かんこうごう)はますます窮地に立たされました。

袁春望(えんしゅんぼう)は皇后を慕っている和親王弘昼(こうちゅう)と密会して次の南巡で乾隆帝を暗殺して皇后の息子を帝王にする計画を唆しました。

本気にした和親王弘昼(こうちゅう)は皇帝暗殺を決意します。

乾隆帝は病の嫻皇后(かんこうごう)を南巡に連れて行かずに紫禁城に養生させるつもりでしました。しかし瓔珞(えいらく)が嫻皇后(かんこうごう)に何としてでも南巡に行くよう刺激したので、嫻皇后(かんこうごう)は乾隆帝に嫌われてでも南巡に随行しました。

船上では若い妓女が広間で踊りながら皇帝に視線を送り、病んでいる嫻皇后(かんこうごう)を嫉妬させました。嫻皇后(かんこうごう)が小言を言うと、瓔珞(えいらく)は妓女の美しさを褒めてさらに刺激しました。乾隆帝は皇后に配慮を見せましたが気分が悪くなったといって皇后は部屋から出て行きました。

弘昼(こうちゅう)は愛する皇后のために本当に皇帝の暗殺をするつもりでした。

嫻皇后(かんこうごう)は事前に伝書鳩を杭州府知の劉真に飛ばし、謀反の企てを知らせていました。

瓔珞(えいらく)は永琪(えいき)の治療に南方にいた葉天士を船に呼びつけました。葉天士は虫に腐肉を食わせて治療するが、助かる見込みは四割だと言いました。瓔珞(えいらく)はやめようと思いましたが永琪(えいき)は脚が不自由なら死んだ方がマシだと思い、治療を望みました。葉天士が虫を放つと、その虫は治療用とは別の埋葬虫が仕組まれていました。

その時、反乱軍の振りをした和親王が雇った刺客が船に乗り込みました。

皇太后の部屋が放火されました。

乾隆帝は母を助けなければ後世の恥となると言って燃え盛る皇太后の部屋に飛び込みました。

嫻皇后(かんこうごう)も同じく皇帝に続こうとしましたが、弘昼(こうちゅう)に気絶させられました。

弘昼(こうちゅう)は「一人残らず殺せ!」と自分の侍衛(しえい)に命じました。侍衛(しえい)は弘昼(こうちゅう)が雇った刺客を殺しました。

和親王弘昼(こうちゅう)は船上の反乱を平定しました。皇后から連絡を受けた劉真が一番にはせ参じました。

舒妃(じょひ)と慶妃(けいひ)は寝台の中に隠れて無事でしたが護衛はどこかに逃げていました。

広間に皇后と妃、弘昼(こうちゅう)たちが集まりました。

弘昼(こうちゅう)は兄が皇太后を助けるために亡くなったと言って悔しそうに振舞いました。

袁春望(えんしゅんぼう)は皇帝が不在ではいけないので新帝が必要だと言いました。

弘昼(こうちゅう)は玉座の下まで歩み出ると、階段が突然後ろに下がり、階段の下から乾隆帝と皇太后が出て来ました。

弘昼(こうちゅう)の謀反が明らかとなりました。

嫻皇后(かんこうごう)は謀反を知っていて杭州府知に知らせたと釈明しました。そして知りながらも黙っていたのは乾隆帝の気を引きたい一心だったと訴えました。

袁春望(えんしゅんぼう)は弘昼(こうちゅう)が皇后と密通している証拠があると騒ぎ出しました。

弘昼(こうちゅう)の懐から皇后の玉佩(ぎょくはい)が出て来ました。

嫻皇后(かんこうごう)は珍児(ちんじ)を裏切ったとして頬を激しく叩きました。

珍児(ちんじ)は袁春望(えんしゅんぼう)に騙されて玉佩(ぎょくはい)を盗んだと訴えました。

そこに皇帝の命令で李玉(りぎょく)に助けられて避難していた瓔珞(えいらく)が現れました。袁春望(えんしゅんぼう)は瓔珞(えいらく)が生還して誇らしげな表情を浮かべました。

嫻皇后(かんこうごう)は騒乱の中、陛下が瓔珞(えいらく)を助けたのに自分には何もしてくれなかったと言いました。そんな自分だからこそ計画を知っていてでもギリギリのところまで隠して府知をはせ参じて皇帝を助けて寵愛を取り戻したかったのだと皇后は訴えました。

嫻皇后(かんこうごう)は長い時をかけて不正をした皇族や臣下を自分の支配下に置いて自分の地位を固めていました。

嫻皇后(かんこうごう)は短刀を抜くと愛する陛下が憎い、最も憎いのはそんな陛下を愛してしまった自分自身だと言って泣き崩れました。

乾隆帝は嫻皇后(かんこうごう)を部屋から追い出しました。

珍児(ちんじ)は皇后ともども騙されていた腹いせに落ちていた短刀を拾って袁春望(えんしゅんぼう)を殺そうとしました。

袁春望(えんしゅんぼう)は珍児(ちんじ)を殺してしまい、妃たちは残劇に目を背けました。

瓔珞(えいらく)は袁春望(えんしゅんぼう)の出自を調べるために小全子(しょうぜんし)を春望の故郷の太行山に遣わせて調査したと言いました。

皇太后は妃や関係のない者に部屋から出て行くように命じました。

袁春望(えんしゅんぼう)は雍正帝(ようせいてい)を匿ったときに農家の娘であった母と結ばれたという出自を話し始めました。

皇太后は否定しすべては作り話だと言いました。

ショックを受けた袁春望(えんしゅんぼう)は遂に乱心してひっくり返ってしまいました。

乾隆帝は袁春望(えんしゅんぼう)を肉削ぎの刑に処すると言うと、皇太后は哀れなので殺してはならないと言いました。

袁春望(えんしゅんぼう)は部屋からつまみ出されました。

瓔珞(えいらく)は袁春望(えんしゅんぼう)が仕組んだ埋葬虫の毒に侵されていました。

乾隆帝は南巡を中止して紫禁城に引き上げました。

瓔珞(えいらく)の容態は悪くなる一方でした。葉天士にも手の施しようがありませんでした。瓔珞(えいらく)は心配する皇帝を政務に戻らせた後に喀血し意識を失いました。

瓔珞(えいらく)が目覚めると部屋から出て行く高貴な殿方の幻を見ました。

海蘭察(ハイランチャ)が瓔珞(えいらく)に会いに来ました。海蘭察(ハイランチャ)は傅恒(ふこう)が戦に勝利し敵から和睦を引き出したものの、遺体となって紫禁城に戻って来たと告げました。傅恒(ふこう)は瓔珞(えいらく)の命を助けるべく沼地に生えていた聖心草を採りに行った際に瘴気に当たり無理して軍の指揮を執り続けて亡くなったのでした。

「魏瓔珞(ぎえいらく)。私は生涯をかけてあなたを守り抜いた。来世では私を守ってくれるか?」

これが傅恒(ふこう)の瓔珞(えいらく)への遺言でした。

瓔珞(えいらく)は誰もいない部屋で「いいわ。約束するわ。」と答えました。


嫻皇后(かんこうごう)は皇后の地位などを失ったものの、瓔珞(えいらく)の取り計らいで体面だけは保たれていました。嫻皇后(かんこうごう)は瓔珞(えいらく)を呼んでどうしてとりはからったのか尋ねました。瓔珞(えいらく)は辛者庫(しんじゃこ)にいた時に助けてくれたから借りを返したまでだと答えました。嫻皇后(かんこうごう)は瓔珞(えいらく)が袁春望(えんしゅんぼう)の行動に気づきながらも放っておいたのは和親王を殺すためではと尋ねました。瓔珞(えいらく)は問いには答えませんでした。

嫻皇后(かんこうごう)は瓔珞(えいらく)にどうやって皇帝の心を得たのか尋ねました。

瓔珞(えいらく)は先に愛を口にしたほうが負けだと答えました。

宗人府に投獄中の弘昼(こうちゅう)に海蘭察(ハイランチャ)が毒酒を持って来ました。

袁春望(えんしゅんぼう)は辛者庫(しんじゃこ)送りとなりました。正気を失った袁春望(えんしゅんぼう)は幼い頃の出来事を繰り返すばかりでした。

魏瓔珞(ぎえいらく)はついに皇貴妃(こうきひ)に冊立されました。すべての妃嬪(ひひん)たちが瓔珞(えいらく)に侍りました。

儀式が終わり、乾隆帝は瓔珞(えいらく)にどんな気持ちか尋ねました。

瓔珞(えいらく)は「しっくりくる」と答えました。

乾隆帝と魏瓔珞(ぎえいらく)は互いに愛などを口にすることなく互いに冷たい人だと言って笑いました。

各話あらすじ

ドラマの内容を詳しく解説しています。

人間関係の解説

歴史解説

中国の歴史上の人物について調べてみました。

主張内容

このドラマの中で是とされる価値観、非とされる価値観について述べたいと思います。中国製作のドラマなので内容が共産党の主旨に合致するものかどうか検閲されていると考えられます。

ドラマが肯定する価値観

このドラマが肯定している価値観は、主人公とその味方の振舞いにて表現されています。

  • 復讐
  • 闘争
  • 労働
  • 出世
  • 低い身分
  • ずる賢さ
  • 漢民族
  • 愛のない結婚

まずは「やられたらやり返す」というのがこのドラマの大きな趣旨であると思います。主人公が他者から陥れられるたびにやり返しています。

ちなみに日本では仕返し、報復、復讐といった行為は禁止されています。

次に「女性が正しい方法で出世すること」もドラマの主な主張内容です。皇帝、皇后という身分はこのドラマの中では世の中で一番偉い人という位置づけです。この地位を狙って王族や妃が悪心を企む様子が主人公の敵として描かれています。

戦えない女性たちは敵にやられる場面が何度も描かれていました。

劇中でよく働くことを称賛する場面が何度もありました。

格別のはからいにより実力を問わずに出世することも肯定されていました。

また、29話あたりで「紫禁城の外のほうが幸せだ」と主人公の味方が述べており、低い身分で権力から遠いところで生きることが善いことだという主張がありました。

ずる賢さについては主人公の特徴そのものです。主人公は敵にやられたら、ずるい方法を使って敵を倒して行きました。

主人公は漢民族ですが、他はほとんど満州族です。

愛情のない結婚をこのドラマではやたらと肯定しています。ドラマに登場する美しい女性たちは愛してない人と結ばれ主人公も例外ではありません。

ドラマが否定する価値観

主に主人公の敵の言動で表現されています。敵が何をしているかというと・・・以下の通りです。

  • 犯罪
  • 善人の振りをすること
  • 権力を傘に着ること
  • 無駄遣い
  • 財物を蓄えること
  • 誘惑すること
  • 嫉妬
  • 同性愛
  • 過去への執着

以上です。

といったら説明にならないので詳しく述べたいと思います。

1話から10話あたりでは、主人公の同僚が嘘を上司に報告して主人公を陥れました。いわゆる出世の妨げです。そういった時に敵は自分のことを善人であることを強調しています。

高い身分の妃が人を殺めたり暴力を振るうも平気でやっていました。

悪役は浪費家で遊び人というキャラクターで描かれていました。悪役の部屋には豪華な品物がたくさん並べられていました。

それに対し、主人公の味方の部屋は質素倹約であったり、宮廷内外で貧しい立場でいたりしました。

嫉妬心に駆られた登場人物が主人公を罠に嵌めるなどして自らは直接手を下さずに暴力を振るいました。

ドラマの後半からはちょっと前までの過去を主人公たちが否定しはじめます。過去をすぐに忘れることで輝かしい未来が開けるとこのドラマは示唆しています。

中立の価値観

主人公も敵もやっていることについてです。

  • 賄賂
  • 罠に嵌める
  • わがまま
  • 掟破り

まず主人公が金銭を断ることなしに受け取っていました。家族のためなら賄賂を受け取ることや特別待遇もやむなしといった屁理屈です。ある侍衛(しえい)は主人公のために30話にて賄賂を使って紫禁城の役人を買収しました。つまり、大切な人を守るためならば、賄賂を贈ることも受け取ることも良い事だとこのドラマは表現しています。その後も主人公側が賄賂を使って便宜をはかる様子が何度も描かれていました。

どうやら皇帝や政敵にバレなければ賄賂を贈っても構わないとドラマでは一貫して描かれています。

敵側も「賄賂を贈っていれば家族を助けられたのにそうしなかったことで家族が破滅した」と描かれているので間違いないでしょう。

日本では禁止されている行為ですが、中国ではどうなのでしょうね?

主人公とその味方が敵を倒すには嘘を付いて相手を罠にはめること自体は悪くない事として描かれています。相手を騙すことなしに倒すことができないこととして描かれています。

瓔珞(えいらく)はやられたらやり返すために敵を欺きます。

わがままと書きましたが、わがままの反対、つまり大人しく良い子でいることをこのドラマはしっかりと否定しています。少しでも模範から外れると攻撃される立場が皇帝と皇后です。特に皇后は不自由の象徴として描かれており、富察皇后(ふちゃこうごう)は目指すべき理想像ではないと主張しています。皇后自身もそれ(お手本を演じている自分)は私ではないと明確に否定しています。

これは遠回しに伝統や君主制度を否定しているとも言い換えられます。

視聴感想

最後にこのドラマ「瓔珞<エイラク>紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃」を観た感想を述べたいと思います。私が中国ドラマを観るのは本当に子どもの頃以来です。このドラマを観るまでは中国のドラマは思想が操作されているので面白くないという先入観がありました。

1話から見始めてまず思ったのが乾隆帝のお妃たちの何と意地の悪いことでしょうか!そして女官もお妃と同じくめちゃくちゃ意地が悪く、現代の価値観では殺人犯と同じです。そんな悪女たちが紫禁城の中にうようよいるのですから恐ろしいと思いました。

高貴妃(こうきひ)はいかにも悪いお妃といった王道の演じ方でした。怡嬪(いひん)は本当に自害したのか、太監たちに梁から吊るされたのか見終えた今でもわかりません。

純妃(じゅんひ)や爾青(じせい)、嫻妃(かんひ)、順嬪(じゅんひん)、裕太妃(ゆうたいひ)は極悪人として描かれていました。

舒貴人(じょきじん)と嘉嬪(かひん)は上の位のお妃ほど力がないせいか、人を殺めるような悪事は働いていなかったものの、すごく悪い女性たちでした。

きっとドラマでは昔の時代なので誰が誰を誅殺しようと無問題だったのかもしれません。王侯貴族は何でもやりたい放題であったのかもしれませんね。何かあれば架空の生き物や他人のせいにすればそれで赦される時代だったのでしょう。

そんな地合いが国の土台となっていて嘘や裏切りといった習慣が世代を繰り返しながら伝えられて今に至るのかもしれません。

主人公の瓔珞(えいらく)は見た目は悪女で心は温かい人という設定でした。やられたらやり返し、自分の幸せを求めず姉御や妹分の敵討ちを生きる目標にしています。

ドラマの中で瓔珞(えいらく)が金子(きんす)や銀子(ぎんす)を自ら求めるようなことは一度もありませんでした。でも昇進を求めて作為的に嘘の振舞いをすることは瓔珞(えいらく)の定番の行動でした。瓔珞(えいらく)は乾隆帝や皇太后に取り入るためにわざと気に入られようと振舞いました。

権力者に気に入られなければ生き残ることができないのでしょうか!?

視聴者の欲求を反映して瓔珞(えいらく)はあの手この手でずる賢くのし上がりました。

瓔珞(えいらく)は愛する人との結婚よりも、復讐を選びました。

恋人だった富察傅恒(フチャふこう)はそんな瓔珞(えいらく)を理解しているので、彼女が他の男に嫁いでも努めて冷静になるように自らを厳しく律していました。

瓔珞(えいらく)自身には金銭欲や物欲は無いものの、ナンバー3という地位に対する欲望はとても強いものでした。上から3番目の身分にならなければ他の意地悪女たちと戦うことすらできないからです。

だからといって瓔珞(えいらく)が正義の味方であるかといえば、そうではありません。ごく親しい身内に対してのみ正義の味方になる人です。姉御分、妹分に対する義侠心は自分を捨てた父や恋人以上に厚いものでした。

あるのは上下の関係のみで横の関係は無い!?

中国人の価値観が、男性なら兄貴と弟、女性なら姉御と妹との上下関係の結びつきが何よりも強いのかどうか!?気になるところですが、少なくともドラマでは「対等の関係はあり得ないもの」として描かれていました。

日本人の私から見れば瓔珞(えいらく)と明玉(めいぎょく)の関係は友達に見えました。しかしドラマをよく見ていると、二人は姉御と妹の関係でした。富察皇后と瓔珞(えいらく)の関係も姉(姐)と妹でした。しかも瓔珞(えいらく)はその上下関係こそが真実で正義であるかのように演じられていました。瓔珞(えいらく)と愉妃(ゆひ)の関係は命の恩人と助けられた人という上下の関係です。

傅恒(ふこう)と海蘭察(ハイランチャ)も、日本人の私から見ると「あ、友達なんだな」と思いましたが、よく見てみると「兄者と弟」の関係です。乾隆帝が傅恒(ふこう)を親しそうに扱っていますが、傅恒(ふこう)は下の者として赦しもなく皇帝に意見を述べることすら許されません。弘昼(こうちゅう)と傅恒(ふこう)の関係では、弘昼(こうちゅう)が弟で傅恒(ふこう)が兄であるかのよう振舞いでしたが、弘昼(こうちゅう)は傅恒(ふこう)を嫌っていました。

このドラマのどこを見ても「横の関係は一切ない」と言い切れます。

これが中国の文化なのかどうか私にはわかりません。

でも日本でもカフェなどでお友達ごっこをしている人たちを観察すると女性でも親分と子分になって親分が一方的に子分に好き放題しゃべってますよね。

日本人の社会人(知り合い程度の他人)同士の関係では「横横の関係」であることが私の周囲では多いです。

このサル山の猿みたいな味方道士の人間関係は見かけ仲良くいている友人同士に本当に二心が無いのか?不思議です。

富察皇后(ふちゃこうごう)

このドラマで一番善人そうなのが富察皇后(ふちゃこうごう)でした。善人すぎて親の言いなりで少女時代を過ごし、妃となってからは紫禁城と皇帝と皇太后の言いなりです。ドラマの作者側はこの生き方を否定しています。自分の欲望を犠牲にしてきらびやかで誰よりも裕福な生を送るのです。意思が無いように装った富貴な生き方のどこが素晴らしいのか?周囲は本当の皇后など知ることもなく、ただ空席の地位が実在の人物で埋まっていることに満足しているだけなのです。人にそっくりなロボットが皇后を演じていても他の者にとってはどうでもよい。決まった振舞いだけをしていれば金銀財宝が与えられて死ぬまで暮らしに困ることはありません。それ以外の自己主張は趣味の芸術以外で一切認められないというのです。富察皇后(ふちゃこうごう)は自由を求めるタイプの女性でした。乾隆帝は富察皇后(ふちゃこうごう)のことを傷つきやすくい弱い女性と思っていました。でもドラマでの富察皇后(ふちゃこうごう)は愛情深くて精神的にも強い女性でしたが悪女が攻撃するから傷ついていただけです。

乾隆帝は富察皇后(ふちゃこうごう)その人を見ているのではなく、皇后になった美しい女性を見ていたのです。富察皇后(ふちゃこうごう)は乾隆帝が自分を愛していないことに気づいて傷つきました。他人の表面しか見ない乾隆帝に対し、富察皇后(ふちゃこうごう)は他の人の内面までわかる賢い女性でした。乾隆帝は富察皇后(ふちゃこうごう)が何に傷ついているのかまったく自覚がありません。そんな殿方が富貴を持っている男という表面的なところ以外に何の魅力がありましょうか!?

嫻皇后(かんこうごう)

嫻皇后(かんこうごう)はある時まで平凡で善良な女性でしたが、家族が処刑されてからは人が変わりました。つらい思いをした嫻皇后(かんこうごう)は誰よりも強くなろうとしました。そのこと自体に同情できるところはありましたが、人を殺めることで自分の地位を高めようとするところがけしかん人でした。

嫻皇后(かんこうごう)の気持ちは単純明快で傷つかないために自分を律してどこまでも努力する人です。

嫻皇后(かんこうごう)は琴の名手であることがドラマでわかります。

嫻皇后(かんこうごう)は乾隆帝に情を分け与えてもらえないことは承知してあきらめる能力がありましたが、皇室の地位を高めるための事業で活躍して皇太后の覚えもめでたくなりました。

しかし皇太后は嫻皇后(かんこうごう)の父を殺して血祭に上げることで臣下たちの不正をもみ消し民の不満の矛先をそらしたのでした。

安泰かに見えた嫻皇后(かんこうごう)でしたが、家族の復讐に目覚めてしまいました。

嫻皇后(かんこうごう)は皇太后に挑んで後戻りできない状況になりました。

つまり、嫻皇后(かんこうごう)は乾隆帝と皇太后のお気に入りの妃を排除することでしか生き残れない状況になったのです。

運命が嫻皇后(かんこうごう)の行動を決めているといっても過言ではありません。

悪運に立ち向かおうとする努力は目を見張るものがありましたが、やり方が悪かったのです。

最終回での嫻皇后(かんこうごう)の年齢は51歳あたりかつ瓔珞(えいらく)より10歳年上であると思われます。本人が後宮に入内して24年経ったと言ってました。51-24=27なので入内が27歳というのは腑に落ちません。調べてみるとwikiに1718年生まれと書いてありました。最終回が1766年なのでラストは史実で48歳あたりかと思いますが、ドラマの年代と矛盾してますね。入内したのは1734~1735年あたりでドラマの24年を足すと1754年ですから話が合わなくなります。

富察皇后(ふちゃこうごう)の息子を死に追いやった張本人でしたが、瓔珞(えいらく)に殺されることはありませんでした。瓔珞(えいらく)はこの皇后がフチャ皇后を自害に追い込む原因を作ったことを知らなかったのでしょうか!?敵討ちしなかったことが不思議です。ところがですよ、wikiを見てみるとこの嫻皇后(かんこうごう)が崩御したのが1766年48歳の時なんですよ!!!これってもしかして!?ちなみに皇后の位を剥奪されたのが1765年です。

爾青(じせい)

前半での爾青(じせい)は大人しくて麗しい女性でした。爾青(じせい)さんの変貌ぶりには笑ってしまいます。派手に暴れてやられ役となってしまい、特に感想はありません。美しい女性が醜く変貌する様を楽しむための役柄でしょう。

明玉(めいぎょく)

ドラマの中心人物といえる明玉(めいぎょく)でしたが、残念ながら最終回まで生き残ることができず作者にやられてしまいました。これほど視聴者に愛される役なら特別待遇で奇跡的な方法で最後まで生き延びるシナリオも考えられたのに、無情にも純妃(じゅんひ)にやられて死んでしまいました。

明玉(めいぎょく)と海蘭察(ハイランチャ)の関係はこのドラマの中では唯一健全でした。

明玉(めいぎょく)の忠義心も大したもので、あの爾青(じせい)をアレする程ですから気が強いだけでなく肝もしっかりしています。

袁春望(えんしゅんぼう)

袁春望(えんしゅんぼう)は運悪く太監にされてしまったことに同情の余地があるものの、瓔珞(えいらく)と会ってからやることが汚い男です。死罪だけでは済まない罪を終盤で冒してしまいます。その目的は・・・愛のため、だったらしいですが、手口が酷い。

乾隆帝

瓔珞(えいらく)が後で夫として仕える男性です。すべてを手にした男に違いはありませんが、国を治めることに忙しいので恋愛になかなか本気になれません。というか、唯一の女性を愛することを禁じられた男です。妃たちが寵愛を求めて殺し合いをやってるのに、事件が起きるまで何もしない男です。今日はあのおなご、明日はあのおなご、と美女とやりたい放題でさぞや楽しいかと思いきや、家臣を立てるために重臣の娘とやるなど、気が進まなくてもお務めをしないといけない立場です。

そんな事情から感情については怒る、裁く、指図することが日常のほとんどなので、同情や共感なんかいちいちやってられない立場です。

ですからお妃についても細かく心配することなど無理で、ひたすら自分は偉いと他に示し続けなければいけない哀れな男です。

でもそんな皇帝を美女たちが慕っているのですから乾隆帝は幸せ者ですね。

すごく忙しいに違いない!

女性だったらそのような人を生涯思いやれるでしょうか!?嫉妬で身を亡ぼすくらいなら最初から好きにならずにいておいたほうが絶対お得です。

史実では最終回の時点で乾隆帝の年齢は55歳頃です。

富察傅恒(フチャふこう)

美男子かつ大将軍でド真面目で勉強家で人の道も知っているスーパーマン。そんな生き方をできるのかというと、絶対無理でしょう(笑)

あり得ないです。

短命覚悟でその生き方を貫くのはアリかと思います。ただそんな人の妃となるのは疲れないかしら!?

やはり妃は妃で自分の楽しみ、自分の人生を送れる人じゃないと、この手の偉い人と一緒に暮らすことは無理でしょう。

当然傅恒(ふこう)のような人が妻に求める資質もハイレベルですから。芝居するにしても超疲れるんじゃない?

海蘭察(ハイランチャ)

傅恒(ふこう)よりも格下の貴族なのか庶民なのかわかりませんが、出世欲あふれる武人です。その割にかなりの優男。優しすぎて戦争に行けるのか疑問な人です。仕事面では抜かりがないようです。皇帝のもとで気を使いすぎて早死にしそうな人でもあります。明玉(めいぎょく)と良い仲でしたが視聴者の期待を裏切りました(笑)

弘昼(こうちゅう)

このドラマでは弘昼(こうちゅう)も美男子の登場人物で既婚男性の紳士として描かれていました。紳士なのは見た目だけです。少なくとも格上の人物の前だけは紳士でした。その本性はいい加減なもので、現代なら犯罪者です。シナリオの成り行き上で最後もやらかしてくれました。

李玉(りぎょく)と徳勝などの太監

いわゆる皇帝や妃の身の周りのお世話係です。一応去勢をするかのような場面がありましたが、どーなんでしょうかね。私は知らないです。嘘をつくことが平気じゃないと務まらない職でもあります。皇室の行動に逐一目を光らせてないと務まらないのでお世辞や服従、土下座すること自体が好きじゃないと、とっても耐えられそうにないハードワークです。

女官

このドラマを観たら女官なんてやりたくない!と思われる女性も多いのではないでしょうか!?ここまで酷くなくても毎日が他の妃の悪口や、意地悪なことが日常茶飯事であったことは想像できるでしょう。いくら皇太后付きの女官であっても楽することなど絶対できません。左うちわになれるのは一族が引き立てられて自ら嫁ぎ先が決まってからではないでしょうか。それでも外部の包衣の暮らしよりマシだったのでしょうか!?長生きできそうにありませんね。

妃嬪(ひひん)

女性のあなた様は紫禁城のお妃になりたいと思うでしょうか!?毎日暇だと思いますw旅行にも行けないし、遊びといえば書画や茶、花見、読書、香道、財物の収集くらいなものでしょう。死ぬまでそんな日々ですよ。といっても平均余命は40歳くらいと短かったでしょうからそれだけでも暇は十分潰れます。

目上の妃に常に従いおべっかを使うのです。女官よりも働かなくていいけど、毎日他の妃のことに考えを巡らせるのは苦痛ではありませんか。油断していなくても罪を押し付けられそうです(笑)

飢えるよりマシと考える人もいらっしゃるでしょうが、貴族と結婚したほうが全然マシだと思いますよ!

主人公たちは幸せか?

主人公をはじめ男も女も現代的な幸福とは言い難い生き方をしています。男は戦争で人の命を奪ったり奴隷を誘拐してなんぼのもの、女は定型通りの言動をして赦される。実に虚しい生き方だと思います。唯一、子をなす以外は。

高級な茶を飲めば幸せかといえばそうでもないでしょう。あるのが当たり前と思っている茶ですから少しまずいと機嫌が悪くなるでしょう。

この上ない生き方というのは毎日他人に指図するだけの暮らしですから自分が何かを生産するということはほぼ無いでしょう。

料理を作ったり、日曜大工をしたりといったこともしない。

自らは何も作らない人生。

命令したって不正官吏がうようよですからね、気分の良いものではないでしょう。

自分に取り入る側近たちも彼らは家族を守りたいだけで皇帝や皇后を愛してはいない。

寂しいから腹心を求め、そいつらに容易に騙される。

幸せ、なんでしょうかね。

主人公瓔珞(えいらく)

瓔珞(えいらく)さんについてです。西暦1727年に生まれました。17歳頃に繍坊に入りすぐに富察皇后の侍女となり19歳頃に辛者庫(しんじゃこ)送りとなり20歳(西暦1748年)の時に富察皇后(ふちゃこうごう)が逝去し円明園の奴婢となり、23歳の終わり頃に貴人となり・・・・27歳頃に皇太后と円明園に行き30歳頃に紫禁城に戻って来て二人の娘を産み35歳頃には永琰(えいえん)を出産して貴妃(きひ)に封じられました。ドラマの中で瓔珞(えいらく)推定30歳の頃に10年の停戦協定が結ばれたので最終回には41歳あたりでないと辻褄が合いません。ドラマの中の年代だけ見るとこんな感じでしょうか?最終回で瓔珞(えいらく)は40歳~41歳あたりであることがわかりました。史実では船の事件のときは38歳、最終回の年齢は39歳です。

史実をもとにしても辛者庫(しんじゃこ)送りになったのは20歳で一致しています。しかし令嬪に冊封されたのも史実では20歳~21歳頃だったのでドラマとはズレてます。史実では令妃になったのは23歳~24歳頃です。史実では第七皇女が生まれたのは29歳~30歳の頃です。ドラマでそこから10年の停戦協定が入ると40~41歳ですが、1760年に生まれた永琰(えいえん)が1765年のあたりを描いた場面では6歳でした。史実では最終回の時点で西暦1766年あたりで瓔珞(えいらく)39歳~40歳ということになります。1年くらい時代が史実とズレてますね。

最強の女性という設定ですから、家族と家族同然の身内の一大事に泣いて動じるも、他人に対しては非情です。

今の中国のお国柄でしょうか、他人に冷たいのは。

あたくしの日本の地元では中国人が複数人いつも自転車で群れて買い物してますけども、一人になるのが怖いのかな。仲間に置いてかれるのが怖いのかも。

まったくの他人に対して無情という印象があります。それだけ他人を信用できないほど本国の治安がやばいのかな。

優しそうな慶妃(けいひ)ですら友人かつ(元)目上の舒妃(じょひ)に失望したらあっさり見捨てたじゃないですか(笑)

その冷たさは本当なのかと思うくらいリアルに描かれてましたね。

それほど簡単に親しい人を捨てられるなら、もともと情がなったということになる。

ならどうして群れてるの、と、そこが不思議になります。

爾青(じせい)も近いところにいたのに明玉(めいぎょく)さんはあっさりと瓔珞(えいらく)に乗り換えるところは日本人では考えにくいことです。まだ本性を表していない時なのに。

その割に恩人となると話は別のようですね。恩に対してはしっかりと報いるのが中国人。じゃあ恩を与えておけばずっと仲良くしてくれるのかしら!?となってご恩と奉公という封建的なことを瓔珞(えいらく)もやってのけてます。

瓔珞(えいらく)は愉妃(ゆひ)を助けました。瓔珞(えいらく)は愉妃(ゆひ)に助けられました。そして二人の関係は決して破れない固い物になりました。

身を助けてくれる人に恩返し、そして恩返しごっこ。それが中国人の人間関係なのかもしれませんね。

「自分は決して裏切らない。」

「あなたは裏切らないから自分も信じる。」

これだけで二者の上下関係が成立しているようです。それは嫻皇后(かんこうごう)も同じです。

横の関係はこのドラマでは無いみたいです。

残った謎

瓔珞(えいらく)は必ず敵に復讐する人です。ですが嫻皇后(かんこうごう)に対してだけは死で償わせていませんでした。富察皇后(ふちゃこうごう)を仕留めたのは嫻皇后(かんこうごう)であることが52話で明らかになりました。瓔珞(えいらく)は炭が燃えやすいものにすり替えられていたことに気が付いていたのでしょうか?

瓔珞(えいらく)が死で償わせた敵は弘昼(こうちゅう)と爾青(じせい)だけです。高貴妃(こうきひ)も純妃(じゅんひ)も死に至るようなやり方で追い詰めたのではありません。明玉(めいぎょく)の仇も死で償わそうとはしておらず、降格による冷遇で済まそうとしていました。

嫻皇后(かんこうごう)が富察皇后(ふちゃこうごう)の息子を殺した罪を、奴婢だった自分の命を助けてくれた恩で相殺したというのでしょうか?あまりに不釣り合いだとは思いませんか?

史実では嫻皇后(かんこうごう)は降格してすぐに亡くなっていますから、栄養状態が悪かったのか、自害したのか結末はわかりませんけど罰が下ったと解釈することも可能です。

愛を先に口にしたほうが負け

最終回では瓔珞(えいらく)がこのようなことを嫻皇后(かんこうごう)に言っていました。乾隆帝は妃嬪(ひひん)たちから耳が痒くなるほど愛の囁きを聞いていると思います。皇后のしきたりで皇帝を慕っていることを言ってはならないルールでもあるのでしょうか!?よくわかりませんが、このドラマに出て来る乾隆帝は「愛しています」といった類の愛の告白を好まないことは何となく想像がつきます。そしていかにも愛してますといった行動も乾隆帝は好かぬこともわかります。このドラマでの乾隆帝の好みは生まれが名門ではなく己と似たようなツンデレタイプのおなごで刺激的な振舞いをする美女であることは確かです。乾隆帝は瓔珞(えいらく)に最初で最後の恋をしたのです。

瓔珞(えいらく)は義理を果たす人ですから皇帝がこの世で一番の男性になったことは言うまでもありません。

最後に

ほんと、物心ついてから初めて中国ドラマを観ました。共産党の体制下でずいぶん表現が制限されているのではないかと案じていましたが、意外とうまく話がまとまっていました。しかし登場人物は皆残酷でして、最後まで見るのが怖いような内容でした。

ためになったところもあって、主人公の瓔珞(えいらく)はとにかく気が強くて弱ったところを誰にも見せません。他のお妃たちは鼻持ちならない高氏以外は精神的に参っているのに、瓔珞(えいらく)は何度やられても心が弱ることなく策を巡らせて戦います。瓔珞(えいらく)も他の名門出身の妃嬪(ひひん)に劣らず気位が高いのですが、それを他人に見せつけることなく気位の高さを隠していました。そして嘘と策略で皇帝やお妃と下僕を騙し、皇后代理まで昇りつめたのです。でもその大義名分はあくまで姉の敵討ちをするためでした。己の栄華のために高位の座を欲したわけではなく姉の敵討ちのためだったというのです。結果として高い身分を皇帝から貰ったのであって、初めから自分のために富貴と権力を求めてはならぬという暗黙のメッセージが込められています。他者に対する正義のためであれば何の遠慮もなく富貴栄華を享受する資格があると。

そして最終的には主人公は皇貴妃(こうきひ)になり、ドラマのメッセ―ジとしては強い女性だけが最高の地位に昇れるのだと言わんばかりです。そのためには表面的には冷徹非情でなければならないという暗黙の冷たいメッセージが出ていました。ですが、この冷たさは日本でも通用することだと思います。情に流されていてはリーダーなんて務まりませんしね。

そして主人公側も敵側も「目的を果たすためなら病をおしてでも社会に出てリーダーシップを発揮して功績を残す」という信念のようなものは中国の強さの象徴のように思いました。ここはアメリカと共通していますが、功績で高く評価されることは日本にはない特徴だと言えます。

平和で安穏としたお国の価値観では病ならひとまずしっかり治してから・・・となりますけどね。中国のように命がけの競争があるお国では休んでいられないでしょう。中国では病なら職を辞すか自害しろという価値観は欧米とは違うけど日本とよく似ているなと思いました。やはりそこが自害率の高さで共通しているのかもしれませんね。子々孫々と繰り返されている悪習とでもいいましょうか。

体面が保てないのであれば精神が病むパターンは漢字圏の国々の文化なのかもしれません。

乾隆帝の後の清王朝は衰退した

清王朝は乾隆帝の時に栄華を極めた後に衰退して6代後に日本帝国の手により朝鮮もろとも滅びました。日本が清王朝を滅ぼしたなんてびっくりですね!おそらくは「疫病・結核」が王宮内に蔓延していたことが間接的な原因だと思います。その後の清国の皇帝は代々短命で終わっているので国を強固なものにすることができなかったのだと思います。

藤原氏もそうですけど、金閣寺を建てて権勢を見せつけたところが権力の最期なんですね!

そんな例がイタリアやインド、カンボジア、古代文明などなど世界各地にありますよねぇ。

美酒と美女に酔っているうちに衰退していくのは決まっているのかもしれません。

最盛期を迎えると衰退するのは、どうしてなんでしょうね。

贅沢を極めて滅びるのであれば、ほどほどにして生き延びたほうがお得かしら!?

袁春望(えんしゅんぼう)の秘密

最後に、袁春望(えんしゅんぼう)が好きな人には嬉しい記事を書きました。よかったらご覧ください。

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