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瓔珞(えいらく)57話 あらすじと感想 新たな友情 乾隆帝は皇太后が銭氏を殺したと疑い...中国ドラ

瓔珞(えいらく)57話 新たな友情

瓔珞(えいらく)57話 のあらすじと感想

目次

あらすじ

皇太后は乾隆帝を実の子として大切に育てると銭氏に約束したら彼女が目を閉じたと釈明しました。

乾隆帝はその話は本当かと母に尋ねました。

「弘暦(こうれき)。生みの恩より育ての恩と言うわ。私は生母ではないけどずっとそなたを大切に育てて来た。思い出してみなさい。私が手を抜いたことがあったの?ずっと手のひらの真珠のように大切に扱ってきたの。どうして問い詰められなければならないの?」

皇太后は言いました。

瓔珞(えいらく)は別の部屋で話を聞いていました。

乾隆帝は謝りました。

「温淑夫人(おんしゅくふじん)が残した遺書がなぜ十年後の今出て来たのか。偽物に違いないわ。敵は私たちの仲を裂こうとしている。孝行心の熱いそなたが遺書を見れば激怒すると思ったのでしょう!」

皇太后は言いました。

乾隆帝はこの件を調査しまた後日謝罪に来ると言って部屋を出ました。

皇太后は心痛のあまりよろめきました。

瓔珞(えいらく)は皇太后を支えました。

「お赦しください。思いがけずお話を聞いてしまいました。皇太后様のお言葉は真実です。生母が別にいるからといって陛下は皇太后様を遠ざけないはずです。」

瓔珞(えいらく)は皇太后を励ましました。

「実の母かどうかであそこまで怒らぬはず。きっともっと深刻な事が書かれていたのやもしれぬ。」

皇太后は言いました。


承乾宮。

乾隆帝は嫻皇后(かんこうごう)に会いました。

嫻皇后(かんこうごう)は乾隆帝がいつもと様子が違うことに気が付き珍珠(ちんじゅ)を下がらせました。

「陛下。夫婦は一心同体です。陛下がお困りのことがあれば私も共に悩みます。」

嫻皇后(かんこうごう)は言いました。

乾隆帝は椅子に腰かけ天井を見上げました。

「朕は、このことを誰に訴えればよいのだ。誰に話すべきだ。」

「どんなことであっても私はおそばでお守りします。」

「朕の出生に関することだ。朕の心は、麻のように乱れている。」


乾隆帝は嫻皇后(かんこうごう)に話を打ち明けました。


「陛下。考えてみてください。二オルフ氏は名門ですが、皇太后様は傍系にすぎませぬ。い父上は四品の典儀(てんぎ)。高位の家族はいません。」

嫻皇后(かんこうごう)は皇帝に言いました。

「皇后。そなたは何が言いたい。」

「皇太后様は入内された時に位は低く、嫡福晋(ふくしん)でも側福晋でもありませんでした。しかも孝敬憲皇后様は康熙帝43年に皇子を失ってからは身籠っていません。陛下に身分の高い母親が必要なら二オルフ氏は選ばれぬかと。」

「皇太后は言った。銭氏が朕を託したと。」

「当時雍王府には一人しか皇子がおらず妃嬪(ひひん)たちは皆我が物にしようと必死でした。銭氏が皇子を誰かに託そうとしたら争いが起きたはずです。皇太后様が陛下の母を名乗っても誰も異論がなかったはずがありません。そうすると銭氏は息子を託しておらず非情にも奪われたのではありませんか?」

「まさか、温淑夫人(おんしゅくふじん)の言う通り、ニオフル氏が銭氏を殺したのか?それが真相だというのか?」

日中の紫禁城。

海蘭察(ハイランチャ)は明玉(めいぎょく)と会い、舒嬪(じょひん)にいじめられていないか心配しました。明玉(めいぎょく)は皇太后様の庇護があるので大丈夫だと答えました。海蘭察(ハイランチャ)は寿康宮(じゅこうきゅう)も安泰ではないので皇太后から離れたほうがよいと助言しました。海蘭察(ハイランチャ)は皇帝の出自のことで何かが起きそうなので令妃(れいひ)に身を守るよう言付けを頼みました。

延禧宮(えんききゅう)。

明玉(めいぎょく)は瓔珞(えいらく)にこのことを伝え、巻き添えを食わぬよう寿康宮(じゅこうきゅう)と距離を置くべきだと言いました。小全子(しょうぜんし)も同意しました。

瓔珞(えいらく)は堅い表情で聴いていました。


養心殿。

海蘭察(ハイランチャ)は銭氏の来歴を皇帝に報告しました。

銭氏は嘉興(かこう)の出身で九歳の時に王府に売られ、看病をきっかけに十六歳で雍正帝(ようせいてい)の寵愛を得ました。銭氏には銭正源(せんせいげん)という兄がいました。銭正源(せんせいげん)は春暉図(しゅんきず)を乾隆帝に献上した礼部侍郎で家が貧しく生母の銭氏は干ばつの年に売られました。銭氏の母は娘が雍王府にいることを突き止めましたが銭氏は側女で宮廷から出られませんでした。その後、銭正源(せんせいげん)が科挙に合格して銭家は栄えました。

乾隆帝は春暉図(しゅんきず)を再び調べました。

「銭正源(せんせいげん)が贈ってくれた絵で目が覚めた。朕が尽くすべきは二オルフ氏ではない。銭正源(せんせいげん)を呼べ。朕がすべてを明らかにする。」

乾隆帝は命じました。


寿康宮(じゅこうきゅう)。

皇太后は目を閉じて考えていました。劉女官(りゅうにょかん)は皇帝が銭正源(せんせいげん)に会えば寿康宮(じゅこうきゅう)はおしまいだと言いました。

皇太后は椅子に腰かけたまま倒れました。


養心殿。

銭正源(せんせいげん)は時間になっても現れませんでした。

海蘭察(ハイランチャ)は銭正源(せんせいげん)が落馬して亡くなったと報告しました。


寿康宮(じゅこうきゅう)。

皇太后は寝台で休んでいました。

「かつては私が咳をひとつしただけで皇帝は飛んできたのに今では倒れても心配すらしないのね。」

皇太后は劉女官(りゅうにょかん)に言いました。

「陛下はただ今軍機大臣(ぐんきだいじん)と会議中で途中で抜け出すことはできません。ですが皇太后様を心配して私を遣わしました。任せてちょうだい。皇太后様。良薬苦しといます。しっかりお飲みになればすぐにご回復なさります。」

嫻皇后(かんこうごう)は劉女官(りゅうにょかん)から薬を受け取り皇太后の口元に運びました。

「皇后。あの遺書はそなたが陛下に届けたのね?」

「皇太后様。遺書を届けたのは和親王で隠していたのは裕太妃(ゆうたいひ)。度胸のない私には無理です。」

「ふふ。やっとわかったわ。」

「何がですか?」

「そなたが辛抱し続けていたのは父の復讐を果たすため。那拉(ナラ)氏。あなたをみくびっていたわ。」

「皇太后様。お薬をお飲みください。」

嫻妃(かんひ)は薬を近づけました。

皇太后は薬を払いのけました。

薬は嫻妃(かんひ)の衣にかかってしまいました。

「気が乱れているとか皇太后様はお怒りのあまりお倒れになったのです。病を見過ごさぬよう侍医を呼びましょう。」

「お黙り!」

皇太后は怒りました。

「あ。忘れるところでした。皇太后様の甥は横領の罪で刑部の牢にいます。着服した額が多いゆえ打ち首になります。甥の母君が命乞いをなさってます。陛下がおっしゃるに皇太后様は身内が罪を犯しても厳しく処断なさるお方。陛下はお母君を罪には問わず恩情を示しておられます。でも甥の斬首は免れません。」

「まさかあなたは私が那爾布(ナルブ)を殺すように主張したのは甥のためだと思っているの?」

「違うのですか?」

「着服した者は那爾布(ナルブ)だけではなかったわ。陛下は那爾布(ナルブ)を殺せても皇族までは殺せない。あなたにも守れなかったのよ。私が守りたかったのは他でもない皇帝陛下とこの大清帝国よ。勝手なのはあなたにほかならないわ。」

「皇太后様。今までご苦労様でした。これからはもう悩む必要はありません。」

「あなたは正気なの?」

「もちろんでございます。陛下は永遠にあなたを憎まれるでしょう。」

「あなたの好きにさせるものか。私が陛下を皇帝に育てたの。私たちの仲を裂ける者などおらぬ!」

「違います。陛下は一途なお方です。皇太后様を敵と思えば今まで欺かれて来たゆえ決してお赦しにならぬはずです。」

「陛下は、あなたを信じぬ。」

「陛下は信じませんでしたが銭正源(せんせいげん)が落馬して陛下は疑念を抱きました。」

「毒婦!お前の仕業ね!」

「皇太后様ご安心ください。陛下は皇太后様を殺しはしません。ですがお赦しにならぬでしょう。ただし英華殿の菩薩のように使い道のない置物となるでしょう。あなたは後悔に苦しみながら生きるのです。」

嫻皇后(かんこうごう)は言いました。

皇太后は寝台から転げ落ちました。

瓔珞(えいらく)と劉女官(りゅうにょかん)が皇太后に駆け寄りました。

「令妃(れいひ)。最後の頼みの綱は断ち切られたわね。これからどうするつもり?」

嫻皇后(かんこうごう)は笑いながら去りました。


承乾宮。

珍児(ちんじ)はまた皇帝と皇太后の仲が修復する可能性を心配しました。

嫻皇后(かんこうごう)は袁春望(えんしゅんぼう)に意見を求めました。

袁春望(えんしゅんぼう)は張院判(ちょういんはん)はかつて嫡子を亡くしていたので張家の者はその息子が残した子(孫)を溺愛していると教えました。


承乾宮。

張院判(ちょういんはん)が皇太后を診察しました。

張院判(ちょういんはん)は皇太后の口が歪み体が麻痺しているので血管が詰まっており軽度の中風(脳梗塞)だと診断しました。

瓔珞(えいらく)は皇太后の手を揉みました。

張院判(ちょういんはん)は二度と皇太后を怒らせないようにと言って帰りました。

瓔珞(えいらく)は皇太后の身振りから張院判(ちょういんはん)は信頼できないと読み取りました。瓔珞(えいらく)は葉天士を呼ぶよう劉女官(りゅうにょかん)に頼みました。


日が暮れました。

寿康宮(じゅこうきゅう)に豪華な棺が運び込まれました。

その様子を怖い顔の太監が監視していました。


劉女官(りゅうにょかん)は手伝いの女官を一人残して皆を下がらせました。その一人は女装した葉天士でした。

葉天士は張院判(ちょういんはん)の処方を読み笑いました。

「問題ありません。しかしこの処方箋は害もないが効果もない。服用したところで効果はありません。」

葉天士は皇太后に毒は盛れないから現状を維持するのだろうと言いました。

瓔珞(えいらく)は処方箋を葉天士に求めました。

葉天士は今や侍医ではなくただの医者だと言いました。

「皇太后様は肝が弱っておられます。血の巡りも悪くてお話になることもできません。痰が詰まっています。肝の臓を養い血を造って痰を取る薬を処方しましょう。また話せるようになるはずです。皇太后様は胃が弱いので粥と一緒に服用してください。」

葉天士は言いました。

瓔珞(えいらく)は感謝しました。

「令妃(れいひ)様。もはや寿康宮(じゅこうきゅう)は令妃(れいひ)様を守れません。害が及ばぬようお離れ下さい。陛下は・・・。」

劉女官(りゅうにょかん)は瓔珞(えいらく)を気遣いました。

「陛下は私を冷遇しているわ。もはや何も怖くはない。私を守ってくれた皇太后様を見捨てたら人として最低だわ。それに一度乗りかかった船だもの。途中で降りるわけにはいかないわ。皇太后様がご安泰なら状況を覆せるはず。」

瓔珞(えいらく)は劉女官(りゅうにょかん)に言いました。


皇太后の寝室。

「皇太后様。皇后は決して手を緩めないでしょう。対抗するために真実を明らかにしてみては?」

瓔珞(えいらく)は劉女官(りゅうにょかん)とともに皇太后を励ましました。

皇太后は少し考えると劉女官(りゅうにょかん)を見つめ、頷きました。

夜中の延禧宮(えんききゅう)。

瓔珞(えいらく)が戻ると慶貴人陸氏が待っていました。

陸氏は黒い外套をかぶり人目を忍んできた様子でした。

慶貴人は皇太后のために祖父が服用した中風の薬、琥珀抱龍丸(こはくほうりゅうがん)を差し出しました。琥珀抱龍丸(こはくほうりゅうがん)は気を落ち着ける薬でした。

瓔珞(えいらく)は理由を尋ねました。

「父が納蘭(ナーラン)殿の配下なので私も舒嬪(じょひん)様に従うしかありません。ですが善と悪の区別はつきます。陛下は皇太后様に対して育ての恩があるため正気に戻れば後悔するはずです。処方箋を贈り皇太后様とご縁を結べば将来生き残れます。」

「縁を結びたいなら直接贈っては?」

「雪中に、炭を贈ることは得難いですが、時期というものがあります。皇太后様には令妃(れいひ)様がいらっしゃるので私は出遅れてしまいました。だから令妃(れいひ)様に贈ることで私の善意を知ってもらいたいのです。」

「慶貴人。いつもは静かなのに誰よりも賢いわね。」

「賢いのではなく度胸がないのです。私のような者は侮られます。不正を見ても訴えることができません。令妃(れいひ)様に憧れても陸一族百三十二人の命を守らねばならず、時勢のなすままにされるしかありません。ですが私は心の底では正義を求めています。私はできる範囲で手助けがしたいのです。皇后様は、皇太后様だけでなく令妃(れいひ)様も赦さない。お気を付けください。」

「昇り詰めては?」

「私は美貌でも賢さでも他の妃嬪(ひひん)には及びません。寵愛を競う資格がありません。」

「私が助けるわ。慶貴人。家族を守りたいなら力が必要よ。強者に頼るより、強者になりなさい。」


寿康宮(じゅこうきゅう)。

珍珠(ちんじゅ)は葉天士の処方箋を劉女官(りゅうにょかん)に渡しました。

劉女官(りゅうにょかん)は処方箋を破り捨てました。

日中の養心殿。

李玉(りぎょく)は皇太后が重篤であることを皇帝に伝えました。

乾隆帝は寿康宮(じゅこうきゅう)に急ぎました。

「皇太后は?」

乾隆帝は慶貴人に尋ねました。

「お知りになりたいことはこの本に書かれているそうです。」

若い侍女は閲微草堂筆記(えつびそうどうひっき)という本を乾隆帝に献上しました。

「ただの奇談集だ。皇太后の意図は?」

乾隆帝は本を慶貴人に返しました。

「皇太后様によるとこれは紀昀(きいん)がさまざまな奇談を集めた書です。淮鎮の郭氏夫人は夫が出奔した後に、義父母を必死で養いました。貧しくて隣人に頼っても助けを得られずついに身を売ったそうです。」

慶貴人は答えました。

「朕に何が言いたい。朕と何の関係がある?」

乾隆帝は問いました。

「郭氏は義父母を養いつつも美しい少女を買って育てて戻った夫に言いました。やっと家族が揃ったわね。身の清いこの少女を妻にしてねと。そして自害しました。役人は郭氏を罪に処し夫の墓に葬ることを禁じました。義父母だけが涙を流してその死を悲しみました。孝行のため身体を売ったおなごに何の罪がありましょうか。名節と大義はどちらが重要なのでしょうか。」

慶貴人は言いました。

「皇太后の話はそれだけか?」

乾隆帝は(瓔珞の衣の)人影が気になりました。

「陛下。かつて銭氏は雍親王と一緒に山西を訪れました。当時は帝位争いの最中で傷を負った雍親王は山中に逃げるも太行山(たいこうさん)で匪賊に囲まれたそうです。そこで銭氏は先帝の衣をまとい匪賊を引き付けました。噂によると、銭氏は匪賊に犯されたとも山から身を投げたとも。銭氏が名節を守っていようと守っていまいとすべては先帝を助けるためでした。でもその噂が広まれば銭氏は郭氏と同じように皆に非難されます。陛下のお立場も危うくなります。これが皇太后様が守られて来た秘密です。信じられぬなら雍親王に仕えていた侍衛(しえい)にお尋ねください。今は退いて膠州にいます。皇太后様の命令で明日には皇宮に着くと思います。」

慶貴人は言いました。

「それが本当なら朕は寿康宮(じゅこうきゅう)を訪れて跪いて謝るだろう。」

乾隆帝は帰りました。

慶貴人は緊張がほぐれてふらつきました。

「慶貴人。よくやたわね。」

瓔珞(えいらく)は褒めました。

「動悸がおさまりません。令妃(れいひ)様。どうして直接お話にならなかったのですか?」

慶貴人は尋ねました。

「陛下に冷遇された私が話せば皇太后様の迷惑になる。」

「では先ほどのお話で陛下のお心は動いたのでしょうか?」


夕方の延禧宮(えんききゅう)。

瓔珞(えいらく)は疲れた様子で戻りました。

太監たちが勝手に調度品を運びだしていました。

小全子(しょうぜんし)と明玉(めいぎょく)はやめさせようとしましたが多勢に無勢でした。


養心殿。

雍正帝(ようせいてい)の御膳侍衛(しえい)、王天一(おうてんいつ)が拝謁しました。

李玉(りぎょく)は王天一はかつて先帝を守ろうとして膝を怪我したので跪けないと言いました。

乾隆帝は椅子に腰かけることを赦しました。

乾隆帝は雍正帝(ようせいてい)と銭氏が山西に行き、迎えに行ったときに二人は一緒だったか尋ねました。

王天一はその通りだと答えると、乾隆帝は皇太后が嘘をついていると思い怒りました。

王天一は椅子から転げ落ちながらも土下座して謝りました。

乾隆帝は幼かった自分を背に乗せてくれた王天一に感謝するとともに、出自について尋ねました。

「銭氏は、なぜ亡くなったのだ?太行山で亡くなったのか?それとも、皇太后に殺されたのか?」

「陛下。銭氏夫人は先帝を救うため名節を汚して死を賜ったのでございます。」

王天一は震えながら答えました。


乾隆帝は急いで寿康宮(じゅこうきゅう)に行きました。

皇太后は令妃(れいひ)と養生に出かけていました。


乾隆帝は馬に乗り皇太后の養生先に向かいました。


森。

慶貴人が皇太后の伝言を携え皇帝を待っていました。

「先帝は十三年の在位中に万寿節しか休まれませんでした。狩りも遊興もなさらず政務にいそしまれました。先帝は生涯親兄弟を陥れたという悪評に苦しめられました。お立場が危うくなる時もあり君主にとって出自がいかに重要であるかを思い知り、陛下のために銭氏を殺したのです。皇太后様から毒酒を渡された時、銭氏は黙って三拝した後に毒を飲みました。その三拝には千斤の重みがあったゆえ皇太后様は我が子のように大切に育てられたのです。」

慶貴人は言いました。

乾隆帝は皇太后に会いたいと言いました。

慶貴人は皇太后は令妃(れいひ)の助けで養生すると(紫禁城には戻らないと)言いました。


乾隆帝は急いで養生先に向かいました。


皇太后の行列。

皇太后と令妃(れいひ)は馬車に乗っていました。

乾隆帝が追いつき馬車に向かって跪きました。

「母上。朕は不孝にも母上を傷つけました。育ての恩を忘れた朕の罪は万死に値します。朕をお赦しください。皇宮にお戻りください。」

乾隆帝は土下座しました。

「陛下。皇太后様の言葉です。円明園で養生し病が癒えたら皇宮に戻ると。陛下は帰ってくださいと。」

女官は言いました。

「母上。私が間違っていました。母上を怒らせたのは朕の過ちです。長年の母の情を顧みてどうか一目会わせてください。」

乾隆帝は言いました。

「陛下。お戻りください。」

女官(おそらく劉女官)は言いました。

馬車は円明園に向かいました。

感想

瓔珞(えいらく)57話の感想です。何と、乾隆帝の素性は奴婢と雍正帝(ようせいてい)との間に生まれた庶子!!!弘昼(こうちゅう)よりも格が劣ります。庶子が君主となるのは朝鮮王朝で何度も実例がありますが、まさか中国でも!?記録から抹消されているとはいえ、あり得ないことではないですね。面白い設定を考え付いたものです。歴史では乾隆帝は二オルフ氏の嫡子となっているので、庶子ではありません。

嫻皇后(かんこうごう)は皇太后を追い詰めようと怪文書を裕太妃(ゆうたいひ)の部屋に隠して弘昼(こうちゅう)を操りました。皇太后を無き者にしよとすう企みは万死に値するでしょうから、嫻皇后(かんこうごう)は降格されて身分を失った妃嬪(ひひん)を殺す以上に大きな罪を犯してしまいました。

瓔珞(えいらく)はこの企みにもちろん気が付いているのでしょうね!

ここで慶貴人が自発的に瓔珞(えいらく)に歩み寄って来ました。慶貴人も勘が良いのか時流を読めるのか、この難局に勝者になろうとしているようですね。野心がある慶貴人、うまく瓔珞(えいらく)と仲良くなりました。

ラストは産みの母より育ての母。

乾隆帝が皇太后に土下座して謝る場面は感動なさった方もおられるのではないでしょうか?

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