スキップしてメイン コンテンツに移動

瓔珞(えいらく)23話 雷雨の夜の怪のあらすじと感想 中国ドラマ

瓔珞(えいらく)23話 雷雨の夜の怪

瓔珞(えいらく)23話 のあらすじと感想

目次

あらすじ

純妃(じゅんひ)は瓔珞(えいらく)が傅恒(ふこう)の飲み物に毒を混ぜたと言いがかりをつけました。富察傅恒(フチャふこう)は瓔珞(えいらく)に自分を殺そうとしたのか尋ねました。瓔珞(えいらく)は茶碗を手に取ると潔白を証明するために自ら茶を飲み干しました。そして茶碗を地面に落とすと器は割れませんでした。瓔珞(えいらく)は茶に毒が入っていないことを証明しました。

「確かに高貴妃(こうきひ)様は私にお命じになりました。皇后様の毒殺を。こう仰せでした。若様は私の姉阿満(あまん)を辱めてた犯人だと。皇后様は阿満(あまん)を殺して隠蔽したと。」

瓔珞(えいらく)が答えると富察皇后(ふちゃこうごう)は自分も弟もそんな卑劣な人間ではないと釈明しました。瓔珞(えいらく)は皇后の徳を信じて高貴妃(こうきひ)の言葉を信じなかったと言いました。瓔珞(えいらく)はチン毒は花畑に捨てたので草が枯れているはずだと述べました。

「恨みは忘れません。姉を殺した犯人は私が捜します。」

瓔珞(えいらく)は固く誓いました。

富察皇后(ふちゃこうごう)はどうして姉のことを話してくれなかったのか瓔珞(えいらく)に尋ねました。瓔珞(えいらく)は私的な憤りで皇后に迷惑をかけることはできないと答えました。純妃(じゅんひ)は「毒を盛っていないならいいのよ」と瓔珞(えいらく)の肩に触れました。瓔珞(えいらく)は皇后の部屋から出て行きました。傅恒(ふこう)も部屋から出て行きました。純妃(じゅんひ)は瓔珞(えいらく)が何をしでかすかわからないので身近に置かないほうが良いと皇后に進言しました。

富察皇后(ふちゃこうごう)は瓔珞(えいらく)が教育を受けるほど穏やかになっていったのでしっかり教えてあげたいと純妃(じゅんひ)に言いました。

傅恒(ふこう)は瓔珞(えいらく)に会いました。瓔珞(えいらく)は帯を御花園(ぎょかえん)に落とすのは不自然なので理由を尋ねました。

「あの日、誰かがあなたになりすましたのでは?侍衛(しえい)なら着替える必要はありません。着替えたのは巡回の目をくらますため。つまり犯人は宴に参加した皇族です。昨夜証人として呼ばれた若い太監は御前侍衛を恐れるはず。近づいて顔までは見ない。高貴妃(こうきひ)は帯の持ち主こそ犯人だと思い込ませたいのです。傅恒(ふこう)さん。あなたなら一般の皇族はおろか怡親王も怖くないはず。不思議です。あなたに名誉を守らせるのはどんなお方か。」

瓔珞(えいらく)は言いました。

「瓔珞(えいらく)。私が守っているのはあなただ。追及を続ければ恨みを抱かれるかも。あなたの身が危うい。」

傅恒(ふこう)は言いました。

瓔珞(えいらく)は傅恒(ふこう)が犯人を知っていると思い、誰をかばっているのか尋ねました。傅恒(ふこう)が答えないでいると瓔珞(えいらく)は毒を盛ればよかったと怒りました。

長春宮。

純妃(じゅんひ)は爾晴(じせい)の誠実さを褒める一方で瓔珞(えいらく)を蔑みました。

承乾宮。

乾隆帝が永珹(えいせい)と嫻妃(かんひ)に会いに来ました。乾隆帝は永珹(えいせい)を抱っこすると嫻妃(かんひ)の世話ぶりを褒めました。乾隆帝は侍女に皇子を寝かせるよう命じました。

「実は、礼部尚書の金簡が低減した。永珹(えいせい)は幼いのに母と生き別れて可哀そうだ。嘉嬪(かひん)には秀女の年頃となる妹がいるので彼女に世話をさせてはどうかと。」

乾隆帝は嫻妃(かんひ)に言いました。珍児(ちんじ)は口出ししようとして嫻妃(かんひ)に止められました。

嫻妃(かんひ)は二歳の永珹(えいせい)にとっては叔母が世話をするのが当然だが時々会わせて欲しいと言いました。

皇帝は永珹(えいせい)を叔母に預けることに決めました。

皇帝が帰ると嫻妃(かんひ)は第四皇子を金家が取り戻そうとするのは当然で、皇帝も永珹(えいせい)を儲秀宮(ちょしゅうきゅう)に奪われたくないため叔母に渡すことにしたのだと珍児(ちんじ)に説明しました。

乾隆帝は嘉嬪(かひん)を輩出した金家を信頼していました。

承乾宮の寝床。

乾隆帝は夜中に目覚めました。

承乾宮。

嫻妃(かんひ)は永珹(えいせい)をあやしていました。嫻妃(かんひ)の脚が傷ついていました。嫻妃(かんひ)は永珹(えいせい)を起こさないためにはだしで歩いたのだと珍児(ちんじ)に言いました。

それを見ていた乾隆帝は李玉(りぎょく)に皇子の世話ができる者を内務府から派遣するよう命じました。

嫻妃(かんひ)は珍児(ちんじ)の治療を受けながらほくそ笑みました。

嫻妃(かんひ)はわざと自らの脚を傷つけ乾隆帝の心を惑わしたのでした。

日中の皇宮。

瓔珞(えいらく)は道で李玉(りぎょく)の腹心、徳勝と会いました。徳勝は陛下が御花園(ぎょかえん)で茶会を開かれることになったと言いました。茶会には親王や貝勒(ベイレ)が参加することになっていました。

御花園(ぎょかえん)。

少年の皇族、弘噡(こうえん)は怡親王がいつ宗人府から釈放されるのか十二叔父上に尋ねました。怡親王は宗人府で無罪を訴えていました。伯父は怡親王が罪を認めない限り皇帝は釈放する気はないと答えました。慎郡王(しんぐんのう)允禧(いんき)は「懲らしめるべきは弘噡(こうえん)の五兄上だ。弘昼(こうちゅう)は棺を作らせた。妻妾や奴婢に大泣きさせ本人はあぐらをかいていた。皆の鳴き声を聞いて大笑いしたらしい。気が狂っているとしか思えぬ。」と言いました。平郡王(へいぐんのう)福彭(ふくほう)と履親王(りしんのう)允祹(いんとう)は眉をひそめました。

噂をしていると、和親王(わしんのう)弘昼(こうちゅう)が現れました。弘昼(こうちゅう)は自分が死んだらどう弔ってくれるか見たかったと弘噡(こうえん)に言いました。

弘昼(こうちゅう)は乾隆帝の庇護のもとで好き放題していました。

履親王(りしんのう)允祹(いんとう)はなぜ今朝の朝廷で軍機大臣(ぐんきだいじん)一等公の臣下、訥親(ナチン)を殴ったのか弘昼(こうちゅう)に尋ねました。

弘昼(こうちゅう)は訳もなく殴りたくなったと答えました。

履親王(りしんのう)允祹(いんとう)は「宗仁府に入れるぞ!」と怒りました。

乾隆帝が御花園(ぎょかえん)にやって来ました。皇族たちは跪いて礼をしました。乾隆帝は親族だけの茶会なので礼儀はいらぬと言いました。

弘昼(こうちゅう)は「兄上のいいつけどおりまじめにやってます」と兄の皇帝に言いました。

乾隆帝は梅の花や松の実、仏手柑を煮だし龍井(ロンジン)を加えた三清茶(サンチンチャ)を皆に供しました。履親王(りしんのう)允祹(いんとう)は「スッキリした風味で茶を引き立てほのかに香る」と褒めました。平親王も茶を褒めました。李玉(りぎょく)は正月に梅の花を摘み氷室で保管し、松の実も百年待つから採った特別なものだと言いました。

弘昼(こうちゅう)は仏手柑と松の実を混ぜると毒になると言いました。平親王は茶を吹き出しました。

乾隆帝は弘昼(こうちゅう)にどこで聞いたのか尋ねました。弘昼(こうちゅう)は昨日棺の中にいたときに閻魔王から聞いたと答えました。

「安心して茶を飲め。」

乾隆帝は皆に言いました。

「世は無常ゆえ酒に酔い美酒にて一世の憂さを晴らす。人生得難きものは知己。差しつ差されつ酒盃を交わす。」

弘昼(こうちゅう)は茶の席に似合わぬ酒の歌を詠みました。そして突然、倒れました。弘噡(こうえん)が本当に茶は毒だったのだと言うと、履親王と慎親王と平親王は茶を吐こうと一生懸命になりました。

乾隆帝は扇をあおぎながらその様子を見ていました。

弘昼(こうちゅう)は死んだ振りをやめて起き上がり気を失うほど茶が旨かったと言いました。

履親王と慎親王と平親王は怒りました。

弘昼(こうちゅう)はうまく言い逃れると、三人をバカにしました。

乾隆帝は弘昼(こうちゅう)に席に戻るよう命じました。

夜になり、雷が激しく鳴って雨が降りました。

履親王と慎親王と平親王の三人は弘昼(こうちゅう)の横暴ぶりを非難しながら帰りました。弘噡(こうえん)はその横に一緒に歩いていました。

乾隆帝は弘昼(こうちゅう)と一緒に育ったため目をかけていたのでした。

そこに弘昼(こうちゅう)が現れました。

三人の親王は「亡霊が現れた!」と言いました。

弘噡(こうえん)は弘昼(こうちゅう)に本当にいると言いました。

弘昼(こうちゅう)以外の皇族と太監は逃げて行きました。

弘昼(こうちゅう)は尻餅をつきました。

「弘昼(こうちゅう)!弘昼(こうちゅう)!」

巡回していた富察傅恒(フチャふこう)と海蘭察(ハイランチャ)が弘昼(こうちゅう)のもとに駆け寄りました。

「乱れ髪の女官をこの目で見たのだ。あいつだ。姿を見せろ!」

弘昼(こうちゅう)は叫びました。

傅恒(ふこう)と海蘭察(ハイランチャ)は見間違いだと言いました。

「弘昼(こうちゅう)。しっかりしろ。やましいところがあるからそう見えたのだ!」

傅恒(ふこう)は弘昼(こうちゅう)に言いました。

弘昼(こうちゅう)は走り去って行きました。

養心殿。

乾隆帝は李玉(りぎょく)に足を洗ってもらっていました。李玉(りぎょく)は和親王が陛下に迷惑をかけていることについて話しかけました。乾隆帝は先帝が最も可愛がったのは副慧だが夭折し、10人の息子のうち自分と弘昼(こうちゅう)と弘噡(こうえん)だけが生き残ったのだと言いました。祖父は九子奪嫡の熾烈さに憂いながら死んでいったので父は密かに後継者を指名したのだと言いました。

「弘昼(こうちゅう)の病は仮病かもしれぬ。」

乾隆帝は和親王が世継ぎ争いから自ら身を引いたのだろうと思って負い目を感じていました。

通路。

傅恒(ふこう)は瓔珞(えいらく)を呼び止め「化け物を作っただろう。壁に粘着物がった。」と言いました。瓔珞(えいらく)はとぼけました。傅恒(ふこう)は内務府に瑠璃片を取りに行って影を映したのだろうと指摘しました。瓔珞(えいらく)は瑠璃片は灯りのガラスが割れたので交換しただけだと言いました。傅恒(ふこう)は皇帝に最も近い弘昼(こうちゅう)だけはやめるのだと言いました。瓔珞(えいらく)は傅恒(ふこう)を無視して行きました。

日中の壁。

弘昼(こうちゅう)は壁を調べていました。傅恒(ふこう)が見に来ました。弘昼(こうちゅう)は過去を蒸し返すため誰かが企んだのかもしれないと言いました。傅恒(ふこう)は1月10日は母が急病だったので自分は服や玉佩(ぎょくはい)を侍衛(しえい)室に脱ぎ捨てて行ったので、弘昼(こうちゅう)が自分の服に着替えたのではないかと言いました。

「昨日のことは誰の仕業か知りたいか?」

傅恒(ふこう)は弘昼(こうちゅう)を連れて行きました。

儲秀宮(ちょしゅうきゅう)。

舒貴人(じょきじん)納蘭(ナーラン)氏は瓔珞(えいらく)が犯人を傅恒(ふこう)だと思わなかったが傅恒(ふこう)が関わっているのは確実なので、瓔珞(えいらく)はもう皇后に忠誠を誓わないのではないかと高貴妃(こうきひ)言いました。

高貴妃(こうきひ)は様子を見ることにしました。

長春宮。

富察皇后(ふちゃこうごう)のいる部屋に瓔珞(えいらく)が入って来ました。傅恒(ふこう)と弘昼(こうちゅう)は待っていました。。弘昼(こうちゅう)は「昨夜の仕業はお前か!」と瓔珞(えいらく)を指さしました。

傅恒(ふこう)は弘昼(こうちゅう)に「穏便に済ませること」を約束させていました。

弘昼(こうちゅう)は「わびのしるしだ」と言って従者に金子(きんす)を運ばせました。

傅恒(ふこう)は「弘昼(こうちゅう)は酒で自制心を失い過ちを犯した」と瓔珞(えいらく)に言いました。

「私が悪かった。済まない。泥酔してお前の姉を害してしまった。だが後悔してすぐに探しに戻った。侍衛(しえい)がいたから傅恒(ふこう)の衣に着替えたのだ。皇族らしからぬ行いなので見られては困る。戻ってみるともういなかった。」

弘昼(こうちゅう)は謝りました。

「弘昼(こうちゅう)。その後で阿満(あまん)は死んだのよ。」

富察皇后(ふちゃこうごう)は言いました。

弘昼(こうちゅう)は「殺すつもりならとっくに殺しています」と言いました。

傅恒(ふこう)は瓔珞(えいらく)に、弘昼(こうちゅう)は姉を殺した犯人ではないと言いました。

「純潔を奪うことは殺したも同然です。ご存じですか。姉は死んでも先祖の墓に入れず無縁墓にいます。」

瓔珞(えいらく)は言いました。

「補償してやろう。姉さんを娶り身分を与える。どうだ。」

弘昼(こうちゅう)は瓔珞(えいらく)に言いました。

「何ですって?」

瓔珞(えいらく)は怒りを覚えました。

「そうだ。娶るのだ。皇族の妻は系譜に載る。魏家の身分は低いが側室なら可能だ。そうすれば不貞だと陰口を叩かれずに済む。」

弘昼(こうちゅう)は言いました。

瓔珞(えいらく)は笑って部屋を出て行こうとすると、瓔珞(えいらく)の父が現れました。

魏清泰(ぎせいたい)は皇后と和親王に挨拶しました。

弘昼(こうちゅう)は魏清泰(ぎせいたい)を内務府の内菅領(ないかんれい)に推薦しました。

「お父さま。娘の命と引き換えに出世を手に入れた。気分はどうですか?」

瓔珞(えいらく)は父に尋ねました。

「瓔珞(えいらく)。お前は相変わらず強情だな。お前の姉の魂は行き場がないのだぞ。あのような死に方で不貞の汚名を来たのだ。家の墓にも入れぬ。我々も世間に顔向けができぬのだ。だが和親王府に迎えてくださるなら我々一族も批難されずに済む。お前の姉もあの世で安眠できる。」

魏清泰(ぎせいたい)は言いました。

「瓔珞(えいらく)さん。安心して。風水のよい地を探して手厚く葬る。無縁仏にさせぬ。これも私の誠意ある償いだ。」

弘昼(こうちゅう)は言いました。

魏清泰(ぎせいたい)は瓔珞(えいらく)に手を引けば親子関係も修復するが、復讐を続けるのなら家から追い出すと脅しました。

「皇后様はこの瓔珞(えいらく)に寛容であれとお教えくださいました。お伺いします。このたびは、寛容になるべきでしょうか。」

瓔珞(えいらく)は尋ねました。

富察皇后(ふちゃこうごう)は自分には決められないと答えました。

瓔珞(えいらく)は姉を安らかに眠らせてあげたにので和親王を恨まないと皆の前で言いました。

弘昼(こうちゅう)は魏家とは姻戚関係なので瓔珞(えいらく)の嫁入りは自分が引き受けると言いました。

瓔珞(えいらく)は「和親王に感謝します」と言いました。

感想

瓔珞(えいらく)23話の感想です。何ということでしょう。瓔珞(えいらく)が後宮に来た目的があっという間に解決してしまいました!示談というにはおまけがたくさん付きすぎて嬉しくなりそうなほどです。銀子ではなく金子がたくさん目の前に並ぶと魂までふぬけになってしまいそうです。

弘昼(こうちゅう)という乾隆帝の弟はとても大金持ちで、気前までよいと来ましたか。

傅恒(ふこう)が皇帝の弟のことを名前で呼び捨てにできるのはちょっと意味がわかりません。傅恒(ふこう)と弘昼(こうちゅう)は友達なのでしょうか?海蘭察(ハイランチャ)と傅恒(ふこう)も対等に名前で呼び合っていますね。

魏清泰(ぎせいたい)は家の今後のことを思うとこの提案は飲まざるを得ないでしょう。しかし高潔な人物ならば、この和解を断るはずですが。

瓔珞(えいらく)も姉と父、一族のことを思うと、やっぱり引き下がるしかなかったようですね。

純妃(じゅんひ)も嫻妃(かんひ)もとても怪しいです。

関連コンテンツ

このブログの人気の投稿

瓔珞(えいらく)最終回70話 あらすじと感想 来世への誓い 傅恒(ふこう)は瓔珞(えいらく)を助けるため瘴気に犯され...中国ドラ

瓔珞(えいらく)最終回70話 来世への誓い 目次 [ あらすじ ] [ 感想 ] [ 関連記事 ] あらすじ 乾隆帝暗殺に失敗した和親王弘昼(こうちゅう)と嫻皇后(かんこうごう)。嫻皇后(かんこうごう)は騒乱の最中少しでも私の心配をしてくれたのかと皇帝に尋ねました。皇太后は皇后に下がって休むように言いました。珍児(ちんじ)も皇后に休んで欲しいと頼みました。 「私をご覧ください。髪は乱れ化粧は落ちてしまっています。赤く腫れたこの手は火の中に飛び込んだ証拠です。やけどを負って傷跡が残ろうと少しも痛くありません!夫を救うためだからです。あなたと生死を共にするつもりでした。この女(瓔珞)こそが謀反人なのです!陛下はご自分をお守りになるべきなのに侍衛(しえい)全員にこの女を守らせました。この女は陛下のために何もしませんでした。陛下を愛していません。愛するのは己のためだけ。何度も陛下を利用して来ました。陛下を愛さぬ者を大切になさるなんて!あなたは愚か者よ!違う。愚かなのは私。私は最も愚かで間抜けよ。」 嫻皇后(かんこうごう)は皇帝に訴えました。 瓔珞(えいらく)はあまりの痛々しさに目を伏せました。 弘昼(こうちゅう)は皇后に同情しました。 「皇后を連れて行け。」 乾隆帝は命じました。 「近寄るな!」 嫻皇后(かんこうごう)は懐刀を抜きました。 「何をするつもり?」 皇太后は驚きました。 「正気を失ったか。」 乾隆帝はつぶやきました。 「富察容音は陛下よりも自由を愛し、高貴妃(こうきひ)は高家を優先しました。純妃(じゅんひ)の心に陛下はおらず他の妃嬪(ひひん)たちは富に群がっているだけ!紫禁城で唯一私だけが陛下を想っているのよ!」 嫻皇后(かんこうごう)は叫びました。 「杭州の軍を手紙ひとつで動かしたくせに心を尽くしているだと?」 乾隆帝は言いました。 「杭州の軍だけではないわ。同行している江南の役人も私の手の者たちです。お父さまの死で権勢の大切さを実感し年月をかけて皇族や大臣や役人の秘密を調べさせました。不正を働き法を犯した者たちは皆私を恐れて従うほかなかったのです。陛下が崩御なさった後は私が第二の孝荘文皇后(こうそんぶんこうごう)になるつもりでした。」 嫻皇后(かんこうごう)は言いました。 「あなたは大逆罪に値するわ。後宮は政治に

袁春望(えんしゅんぼう)は実在したのか!?ドラマ瓔珞(えいらく)に登場する手練れの太監、最終回の謎に迫る!

袁春望(えんしゅんぼう) 袁春望(えんしゅんぼう) Youtube 動画 延禧攻略 42 より 中国ドラマ「瓔珞<エイラク>紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃」で登場回を重ねる度に存在感を増していく袁春望(えんしゅんぼう)とは一体何者なのでしょうか? ここでは物語の核心にまで迫っていますので、まだドラマをご覧になっていない方はこのページを閲覧しないほうがおすすめです。 目次 初回登場 瓔珞(えいらく)との出会い 瓔珞(えいらく)への執着 乾隆帝との関係 正体 執着から憎しみへ 憎しみの先には・・・ 結末 残された謎と考察 初登場 袁春望(えんしゅんぼう)はドラマに初めて登場するのは10話あたりです。 嫻妃(かんひ)が賄賂の資金を捻出するために侍女の珍児(ちんじ)の提案により太監長の趙慶(ちょうけい)を懐柔しました。趙慶(ちょうけい)は弟子の袁春望(えんしゅんぼう)を連れて神武門で密貿易するため嫻妃(かんひ)を待っていました。 しかし密貿易を試みたものの、高貴妃(こうきひ)が現れ嫻妃(かんひ)を虐げました。趙慶(ちょうけい)は罪を袁春望(えんしゅんぼう)になすりつけて逃げおおせたのです。 袁春望(えんしゅんぼう)は辛者庫(しんじゃこ)送りとなり永巷(えいこう)に肥溜めを運ぶ苦役を命じられました。 肥溜めに左遷された袁春望(えんしゅんぼう)は仲間だった太監たちにいじめられるようになりました。 袁春望(えんしゅんぼう)はやり返さずに耐えてました。 袁春望(えんしゅんぼう)は高貴妃(こうきひ)の犬の餌を盗み食いしたり、溝に落ちている食べ物を拾い食いしたり、雨水を飲んで命を長らえさせていました。 瓔珞(えいらく)との出会い 辛者庫(しんじゃこ)のもとに瓔珞(えいらく)が左遷されました。主人公が左遷された事情はネタバレになりますのでドラマを直接御覧ください。袁春望(えんしゅんぼう)が瓔珞(えいらく)と出会うのは28話あたりになります。 心も口も閉ざしている袁春望(えんしゅんぼう)に瓔珞(えいらく)があれこれと話しかけ、そして助けようとしたのです。 瓔珞(えいらく)と義兄弟に 袁春望(えんしゅんぼう)は瓔珞(えいらく)を自分と重ね合わせて同じだと

富察傅恒(ふちゃふこう)は清国乾隆帝の頃の大将軍で皇太子を支えた皇帝の義弟

富察傅恒(ふちゃふこう) 富察傅恒(ふちゃふこう)は1722年に生まれ、1770年に没した清王朝の大臣・軍人です。満州族出身の名門貴族です。乾隆帝の第一皇后、富察氏の実弟です。軍機大臣、大學士を務めました。 概要 侍衛(しえい)を経て内務府大臣、戸部尚書、軍機大臣、保和殿大学士を務めました。一等忠勇公を授かりました。皇太子を補佐する太子太保、太保を務めました。大金川の戦いで総指揮をとりました。乾隆帝からは文忠の号を贈られました。息子は嘉勇郡王に封じられました。 誕生 傅恒は満州族の名門、富察族に生まれました。 戦争 1747年~1749年 大金川の戦い(現在のアバ・チベット族チャン族自治州)。 1754年~1756年 内乱を鎮圧しました(現在のイリ・カザフ自治州)。 1768年~1769年 軍の最高司令官となりビルマへ侵攻し、戦に敗れて停戦を結びました。 逝去 ビルマへの遠征から戻り、北京でマラリアにかかって亡くなりました。 家族 父は李栄宝(りえいほう)です。 妻は那拉氏(ならし)です。 姉は乾隆帝の皇后、孝賢純皇后富察氏(こうけんじゅんこうごうふちゃし)です。 甥の 明瑞 は乾隆帝の義理の息子ですがビルマ征服に失敗し自害しました。 富察傅恒(ふちゃふこう)が登場するドラマ 瓔珞(えいらく)紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃 富察皇后(ふちゃこうごう)の弟として侍衛(しえい)という皇帝の護衛役で登場します。乾隆帝の弟、弘昼(こうちゅう)や海蘭察(ハイランチャ)の友人という設定です。性格や行動はとても真面目で仕事が終わった後は書斎で本を読んで兵法の勉強をしています。馬術はもちろん棒術にもすぐれ戦場での武勇は数知れず。そして身近にいる美女にも一切手を出さず生涯を通じて一人の女性を愛し抜いた男の中の男です。 関連記事 孝儀純皇后魏佳氏(こうぎじゅんこうごうぎかし)は乾隆帝の第三皇后 儲秀宮(ちょしゅうきゅう)の解説 全話あらすじ一覧 瓔珞<エイラク>紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃 ストーリーを詳しく解説! 参考: Wikipedia 中国 - https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%82%85